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zoom RSS 市川崑の金田一耕助 〜「金田一です。」(石坂浩二著) 天使のような風来坊2 (追記)

<<   作成日時 : 2007/01/02 09:53   >>

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「犬神家の一族」(2006)を鑑賞してから約半月。ここへきてようやく「金田一です。」(石坂浩二著)に目を通した。

この本の“序文”として市川崑監督のことばが記されている。

>映像化に際しては〜扮装は全く同じにする。しかし原作のように有名人にしない。年齢も不詳だ。誰もが、この雇った風采のあがらない男に事件が解決できるのかと思う。 中略
〜どの物語も親と子の願望と愛憎を、殺人の美学と交錯させらがら展開していくのだが、そんな極彩色の世界に金田一が飛び込む。彼のさわやかな孤独感と透明な客観性が映画のもう一つの主題になる。
このように分析していゆくと、こんなことが考えられる〜金田一は天使ではないか。

この市川金田一の話を横溝正史にしたところ、快諾いただいたとある。

そして、市川監督は風来坊のキャラも大事にされている。
製作発表で市川監督は、
「年齢のことは知らんふりして、石坂さんに同じように風来坊の金田一をやってもらう」
と発言している。

また「犬神」のプログラムで、
>彼はどこか清純で透き通った推理力を持っていると
とも発言がある。

これが『市川崑の金田一耕助』の真実である。

わたしが疑問に思っていた市川金田一が戦争にいっていない設定(http://toridestory.at.webry.info/200610/article_29.html)になっているのも、理由はここにあった。
「犬神」のプログラム・「金田一です。」を読んで長年の疑問が晴れた・・・



さらに、この本は私に大変なショックと感動をあたえてくれた。

まず、私はこのブログを始めて間もない頃『市川崑の金田一耕助』(http://toridestory.at.webry.info/200608/article_17.html)という記事を書いた。

この中で私は市川金田一に私なりのハードボイルドを感じると記述した。
私は市川版で金田一のファンになり、その後原作を読みあさった。しかし、それは20年前の話で原作を読んだのは1,2度。しかし市川版はどの作品も20回以上鑑賞している。
そして、20年ぶりに「悪魔の降誕祭」を読み返して、このブログでも何度も記述している等々力警部のあのセリフで、その私なりのハードボイルドを感じる金田一独自のヒューマニズムは原作によりものであると訂正したのである。

参照記事(http://toridestory.at.webry.info/200608/article_23.html
       http://toridestory.at.webry.info/200609/article_25.html

それは厳密な意味ではまちがいであった。
市川監督は横溝ファンで原作も読まれている。そして深い理解をもっている。その監督が原作の金田一独自のヒューマニズムを知らないわけがない。しかし、監督は監督で市川金田一を上記のようにつくりあげた。つまり原作のヒューマニズムの丸写しでなく、それをも含めた上で自分の映像作品用の市川金田一をつくりあげたのである。
その点からすると、私が金田一独自のヒューマニズムは原作によるものであるという記述は厳密には正しくなくなる・・・


もう1点、佐兵衛翁の怨念・想念についても厳密にいうと思い違いをしていた。

佐兵衛翁は青年時、恩人野々宮大弐と男色関係になり、その妻・晴世とも関係をもつ。不倫になるわけだが、それは女性に性的不能な大弐がわざとそうさせ、黙認する。この奇妙な三角関係の中、佐兵衛翁は本気で晴世を愛してしまう。そして、珠世の母となる祝子が誕生し、野々宮家の子として籍に入れられる。その秘められた恋・複雑な人間関係に苦悩する。その鬱積した思いがあらゆる欲へと転化し、犬神製薬の躍進にもつながり、他の快楽を満たすだけの女やその娘達には本当の愛をみせない。それが怨念というゆがんだ感情へ変化する。そしてあの遺言状を書かせたのである。
ただ、それは佐兵衛翁の血と狂気にみちた至上の愛ゆえに、つまりは本当に愛し女の孫・珠世につがせたい深い思いだとおもっていた。そして、その愛は、大小は別にして自らの意志で愛した女の子供・静馬にもと。それが、珠世が相続権を失った場合の遺産配分にあらわれている。

そしてその珠世に継がせたいとの思いで、松子はその見えない力、呪縛にとりつかれ行動してしまうと思っていた。

ただ本書に原作の引用がある、

>(佐兵衛)翁はおのれ百年ののち、松子、竹子、梅子の三人のあいだに血で血を洗うような葛藤の、おこることをのぞんでわざとあのような怪奇な遺言状をつくったのではなかろうか
(「犬神家の一族」角川文庫版より)

佐兵衛翁の怨念はもっと恐ろしいところにもおよんでいた。三人娘をその呪縛によって自滅させる。私も原作は一度よんでいるのだが、20年前で全くわすれていた・・・

この点、石坂浩二氏は犬神家は自己崩壊するしかなっかた、それが必然であったと記述している。犬神家の3人姉妹は所詮、佐兵衛翁と運命を共にする存在にすぎなかったと。
その中で珠世は佐兵衛翁の呪縛を逃れ、自分の人生を生き始めているつよい女性なのだと。

たしかにそうです。珠世は怨念の対象ではありませんし、松子婦人が心配するまでもなく彼女は犬神一族の中で既に佐兵衛翁の怨念・呪縛を逃れ自立したつよい立場にあると感じます。
自分が没した後、自己崩壊するのが必然である一族、だれが配偶者になろうとも、一族内で自立して崩壊の外にいる珠世に継がせるしかないのである。むろん、そうさせたのは佐兵衛翁本人であるのだが・・・・
ただ、その中でもやはり孫、血族を当然ながら優先している。そして、珠世が相続権を失った場合は別で、その段ではじめて静馬に財産相続の権利がうまれ、さらに三人の孫が相続権を失った時は、全権利を静馬に与えることのぞんだ。(リメイクで遺言の全文が読まれないのがやはり私は不満に感じる)
そして、静馬さえみつからない場合は、その全財産は犬神奉公会へ全納としている。
やはり、珠世の存在はあまりに大きい、そして孫、やはり孫はかわいいのであろうか、いやそれも珠世の意志ひとつである。そして3人娘の記述は一切なく、最悪は静馬へと移る。この時、佐清のフリをしていた静馬はどう感じたのだろうか、もはや復讐で耳を貸す気持ちはなかったのか・・・。
さらに、よくよくは犬神奉公会へと。やはり佐兵衛翁のその怨念、3人娘はその呪縛からはのがれられない、死なずとも佐兵衛翁と一緒に崩壊しかないのである。

私はやはり、「犬神家の一族」の核は、製作している監督の思いや、主演俳優が感じる思いと多少づれるかもしれないが、佐兵衛翁の血と狂気にみちた至上の愛、そしてその怨念にも転じる愛は私の思っていた以上に強く、深く、重いものであると感じた・・・。


さらに、私が思うところの金田一耕助に感じるハードボイルド、原作にあるところのヒューマニズムに関して、市川版はどうとらえているのか。

主演の石坂浩二氏は次のように語っている。

>金田一耕助はコロスだと。

コロスとは、日本語で合唱隊、神々の代弁者。

>中央で展開される破局へと突っ走る悲劇を、悩みくるしにながらも最後まで見届けるコロス。舞台の中央へは登場することのないコロス。
〜 探偵こそは自らが犯人にならない限りは、主人公になれない運命を背負っているのです。だからこそ彼らは、なぜかためらいと淋しさの微笑みを感じさせてくれるのでしょう。

そして、一同そろっての謎解きのシーン。

>勘づいていながら、金田一は松子婦人の思い通りにさせたんだ、と僕は思う。
>二人(松子と金田一)の間には暗黙の了解さえあったと思うのです。

私も当然そう感じます、しかし暗黙の了解までとは私には感じとれません。

また、石坂氏は、
>コロスの理論で解釈すれば、犬神家の運命は〈自己崩壊〉しかなかった・・・
>松子婦人をみんなっで見送る場を用意した金田一。

と記述している。
犬神家は自己崩壊の運命しかなかった、これはショックでしたが、たしかにそうです。佐兵衛翁の愛、その転じた怨念の深さに気付いたとき、私も同意せずにはいられませんでした。
ただ、みんなで見送る場を用意しましたが、そこはには彼なりのそのヒューマニズムの中での迷いがあったろうと私は感じます(http://toridestory.at.webry.info/200610/article_8.html)。これは主演俳優がその思いを感じずとも、作品をみた私にはそうと感じとれます・・・。
この点は、どうしてもオリジナルの印象がつよく、私個人でもオリジナルの解釈のが好きなのです。リメイクではこのように感じとることはできません。それは当然、上記の通り主演俳優がオリジナル通り演じておらず、“暗黙の了解”“みんなで見送る”との思いで演じている為である。これ点、私はリメイクでの不満な点のひとつです。

ともかく、金田一はコロス(第三者的な立場)として、その一族の行く末、つまりは佐兵衛翁のつよい愛、怨念そしてそれ故に彼が何を望んだかを理解していた。そして珠世が強い女性で、犬神家の因縁からもはや解き放たれた存在であることも。石坂氏はこのように語っている。

この本を読んだ今、私は大変ショックを感じた。ただその思いには同意せざるを得ません。

その理由の前に、石坂氏は、金田一はコロスである との考え。そこにはやはり、市川監督が求めていたものが大きく影響していたと記述している。
>『石坂くん、金田一耕助は神様なんだよ』
 それもえらい神様ではないんだ。神の遣い、天使なんだよ。
 『神様というのは、実際、何もしないものなんだ』
 『事件が起きても何もしない。悲劇がおきても何もしない。何の手も下さない』だからこそ神様なんだよ、と。
〜 彼はただ、見守っているだけである。それでいいんだ、神様なんだから。

石坂氏は、これを聞いて、非常に市川さん的な神サマだなと感じたと記述している。

この言葉が市川崑の金田一耕助の全てであろう。これが市川監督が原作をも深く理解した上で映像上最適であるとつくりだした、市川金田一の全ての意味を含んだ監督なりの非常に意味の深い表現なのであろう。
私はそこに、そこにこそ、あのハードボイルドを市川金田一に感じたのであろう。


更に石坂氏は、だからこそ金田一の謎解きは手がかりがとても人間的と記述している。
>物証からではなく、人間くさい事柄から推理が始まるのです。
この部分、私はそうであると感じるがそれが全てではないと思う。「犬神」でも金田一は若林殺害時から煙草に目をつけている。

しかし、次の部分はおおいに同感。
>「血の流れの匂い」を嗅ぎつけるのがとても上手な人物です。その根底には〈共感〉があるのではないか。

そして、人間はミラーボールのようだとの旨も記述している。つまりは、
>球体ゆえに、ある面には必ずその反対側の面がある。
それが人間、人の気持ちであると。つまりひとつの思いには表裏一体としてまったく反対の思いも存在するはずだと。

これは私もまさしくそう思います。これは以前ブログの記事で、アニメの「名探偵コナン」は好きだが、そのなかでの決め文句、『真実はいつもひとつ』に違和感を感じると記述した(http://toridestory.at.webry.info/200609/article_1.html)。
まさにこれです。

そして、石坂氏は横溝正史の原作にも及び、
金田一が以前、麻薬に溺れ、放浪し、孤独感を漂わせている点、この陰が、探偵として犯罪という陰をの存在を気づかせる。そして人の気持ちがミラーボールであると知っている。つまり人は多面身体なのだということをきちんと理解している男だと。

この点、私も以前から感じていた部分で、原作で金田一は渡米し、麻薬にも一時溺れ、その時代、つまり戦後の闇の部分を生き抜いてきた男であることが、その人の他面性をおおいに理解し彼の前にたちはだかる複雑な事件に彼なりの解釈をもつことになると思う。

そして、上記の〈共感〉、これが重要であると思う。

以前も記事でしるしたが、市川版「病院坂」で、草刈正雄のセリフに
『金田一さんは、犯人に同情的なんですねぇ・・・』
金田一はかなしそうな顔をして、何も答えない。
と、いうシーンがあります。

つまり金田一耕助は、その奥深い真相を理解し、犯人に共感を覚える場合が事件によってはあるのである。

つまりこれが、上記で先送りにした犬神家で石坂氏の思いに同意せざるを得ない理由である。
金田一耕助は、佐兵衛翁の複雑な人間関係から生じたその苦しみや思いを理解し、彼に共感したのである。故に、この犬神の事件は佐兵衛翁がやらせているように思えると発言しているわけである。
つまり佐兵衛翁の真の願い、狙いを理解していた。そして上記の通り、珠世が強い女性であることも。石坂氏も記述しているが、金田一は何故この野々宮珠世が平然と犬神家に住み続けているのか、その疑問があったはずです。これは私も不思議に思えた点でした。金田一は珠世の素性が判明した時にこれだと思ったはずです。この女性は気がついていたと。
石坂氏はこのように記述している。同感である。
それにより、第三者的な立場で見守ったのである。事件の真相は暴きつつも・・・。
金田一は共感するということは彼の中でその思いが理解でき、それが彼なりに正しいと当然思っているのである。
佐兵衛翁もその愛を通し、そして珠世の意志にまかせた、つまり珠世の強さに気づいていたのではないだろうか。まさに珠世の意志ひとつ、珠世が犬神に残らない場合、残るは犬神の自己崩壊、これが至上の愛の結果であろう。
佐兵衛翁が望んだこと、それは自分の怨念とともその呪縛に縛られた一族を崩壊させ、自分の呪縛外にある、真に愛した女の孫・珠世に新しい犬神家として託すこと。金田一はそれに気づいていたのだと思う。ゆえに松子婦人もみずからに裁きをさせた。
ただ・・・、確かに金田一がここまで深い考えがあったことはこの本を読んだあとでは否定できない、いや、そうであるとしか思えない。
『僕はこう思うんです、あなた佐兵衛翁の望んだことをあなた自信の手で実行してしまったんですね。』これは、大変深い意味のある発言で、これがそれを証明している発言である。
しかし、金田一は〈共感〉という部分で、松子婦人にも共感していた。呪縛にとりつかれ、息子を思い、惨劇をくりかえした。彼女にも金田一は共感したはずである。そしてすべてを成し遂げた時、彼女が自分自身どうしたいかも・・・
その思いも当然あったはずである・・・。

やはり私はここにハードボイルドを感じる、つまりは優しさ・・・。


そして、プログラムを読んだ時にも記述しましたが、あのラスト。
風来坊にふさわしいラストといえよう。

画像
          「あの人はまるで天からきた人のようだな・・・」


他にもこの「金田一です。」は大変興味深い内容がかかれています。

石坂氏の金田一に対するある独自の思い。またそれを実際の演技で実践したこと。また、市川監督の演出のこだわりや、構図つまり、人間配置へのこだわり。

そして私が何十回とみていて気がつかなかった、最後の謎解きシーンでのある背景の演出。これには驚きました。

そして、オリジナル時の金田一のオファー時の話や、横溝正史にいわれたある言葉、そしてリメイク時のオファー時の話などその他にも、非常に面白く興味深い内容です。

この本は、何十回と鑑賞している「犬神家の一族」の奥深さ、つまりは自分の理解力のなさを痛感しました。
上記のような考えをすると、「獄門島」で勝野を無言で見送った後、早苗とする会話の内容もうわべだけのものでなく、金田一はあとのことも考えていたように思う。
横溝正史は奥がホントに深い・・・。

是非、未読の方は購入されて読んでみて下さい。


金田一です。
金田一です。

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犬神家の一族 横溝正史
意外なことではあるが、今回初めて読んだようだ。いやそんなはずはないか。一時期横溝作品を文庫で買いあさっては読んでいたから、少なくとも代表作と言われる作品は読んでいるはずだ。しかし今回読んでみて原作に既読感がないのだ。 「本陣殺人事件」「獄門島」「悪魔の.. ...続きを見る
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コメント(21件)

内 容 ニックネーム/日時
あけましておめでとうございまーす(・∀・)
ちょっと遊びにきたら、これまたタイムリーな記事でラッキーです☆

むーん、結局のところイエローストーンさんの松子の感情についての解釈で
ほぼ間違いないような気がするんだけど・・・(・_・)?
私には貪欲な人間を理解できないので
きっと根本的にこのお話の核は理解できないのかなーと思ってしまいました(・_・)

今日から『夜歩く』を読み返してます
きっと読んでる間にへいちゃんの本が届くと思うので
どんな内容なのか楽しみにしてまーす(・∀・)
ゆら
2007/01/02 21:11
ゆらさん、明けましておめでとうございます。

「金田一です。」はけっこう感動とショックを与えてくれました。
ただ、たいそうな考察めいたことを書いてますが、要は自分の感じたままです。市川監督がこの意図で、または主演役者がこう解釈して演じていると言ってもその通りに感じていない部分もあります。
作り手側の意図通り感じることが正解なのでしょうが、鑑賞した側の感想は決してその思いとはと一致しないと思います。
あくまでもそれぞれが感じればいいのではないでしょうか。
そして意見交換の中で、なるほどこう感じる見方もあるのでということを知るのは貴重なことだと思います。
(ただ、人間はわがまままなので、自分に同意されないと気持ち的にはおもしろく感じない部分は正直、大なり小なりあるとは思います)

今年もどうか宜しくお願い致します。
イエローストーン
2007/01/02 22:16
はじめまして。金田一さん検索でこちらにたどりつきました。
様々な考察大変楽しく拝見いたしました。
あの遺言を佐兵衛の立場から見た時、珠世小さい頃からが佐清を好きだと
知っていたのでしょうか?(松子奥様の台詞にもあるくらいなので、珠世
には優しかったであろう翁も気付いていたのではないかと思うのですが)
珠世があの強烈な一族(竹子・梅子は普段は一緒にいないにしても)と同居
しているのはひとえに佐兵衛の大恩人の孫としての庇護(猿蔵の件等)が
あり佐清兄様への愛情があったからで、翁が遺言を書いた時点の状況では
順当にいけば三人「佐」の内、珠世が佐清を選ぶ可能性が一番高く、翁も
そのペアが完成する事を読んでいたのではないのかと思うのです。
佐清と静馬の入れ替わりは翁本位に見ると想定外なので、そういう意味で
は風変わりだけど理解できる「遺言」なのかも・・・
※娘に対しては冷酷ですね。でも例え世間体(翁はそんな事気にもしな
い?)からにせよ長女とは同居し、各々それなりに贅沢もさせている点か
ら見ると、菊乃の一件など娘達の性根が気に食わないだけなのかも?※
じんこ
2007/01/04 02:34
じんこさん、コメントありがとうございます。横溝作品は謎ときの本筋とすると、その側面の部分が非常に深く、その辺りみた方は様々感じ方をすると思います。そのご意見をきくことは非常に貴重で楽しく思います。私はいただいたコメントの中で、珠世と佐清のお互いの気持ちについて、おっしゃる通り佐兵衛翁は気づいていたと思います。ただ、結局珠世の意志にまかせたと思います。つまり佐清と結ばれることを一番に望んだが、戦争にいった以上、生還しない場合もあるわけです。その場合(こんなことを考えるとキリがないのですが)、珠世はどうしたか?佐竹・佐智が存命の場合、犬神を出て、存命でない場合、独り身でも犬神に残ったと思います。とにかく、佐兵衛翁は珠世の意志にまかせ、珠世が継がなければ、自分の怨念から解きはなたれない一族の自滅を選らんでのではないでしょうか。(続き)
イエローストーン
2007/01/04 14:55
(続き)ただ、佐兵衛翁のその怨念はかなり強く、深いと思います。私も「金田一です。」を読み、あらためて思い知らされたのですが、あの遺言状により珠世の意志にせよ娘間でのしこりやいがみ合いが残ると思うのです。佐兵衛翁は娘たちを呪縛から解かれることを決して許さなかったと私は思います。そして、金田一がいうように、松子婦人はその一番の望み通りのかたちを現実にしてしまったと思います。
つまり、珠世と佐清が一緒になり、娘たちは自滅する。竹子・梅子は息子を失い、次代での犬神の経営には直接関係せず、生きながらにして抜け殻です。松子に至っては存命でない。そこまで望んだのではないでしょうか。でなければ、静馬や犬神奉公会への全納は考えられません(この部分はリメイクでは分からない点ですが)。
すみません、どうも金田一を語らせると長くなって・・・。
あくまでも私の解釈です。上記の記事でも書いてあるとおり、主演俳優が感じて演じているものと違う思いも私は感じています。映画とは、鑑賞した方が様々に感じるものでよいのではないでしょうか。
またなにかありましたら是非、ご意見お聞かせ下さい。

イエローストーン
2007/01/04 14:56
イエローストーンさん、TBとコメントをどうもありがとう。

この記事を読んで「やられた〜」と思ってしまいました。

実は「犬神家の一族」を今読んでいる最中で、ずいぶん前に一度は読んだはずなのですがほとんど忘れていて、今回の読書は非常に新鮮に感じられて愉しんでいます。

佐兵衛翁の遺言書公開の場面で、静馬へ単に遺贈分があるだけではなく、本格ミステリーでおなじみのトンチ氏式の分配方法が使われているところに横溝正史の矜恃が現れているなあと嬉しくなってしまいました。

 読後の感想には是非そこらへんを中心に映画との違いを書こうと思っていたら、イエローストーンさんがちゃんと指摘されていたので「やられた〜」と思った次第です。

 何故市川監督がその部分を入れなかったのかは理由があるような気がしますが、その点は読後の感想としてブログで書きたいと思っていますので、その時はまた読みに来てください。
アスラン
URL
2007/01/08 02:05
アスランさん、コメントありがとうございます。
横溝作品は非常に奥が深く、その原作を深く理解している市川版では原作をわすれていても様々なことを考えさせられます。
その部分で、みた方はそれぞれに思うところがあると思います。共感にしろ、違う思いにしろそういう意見をお聞きし、意見交換することは非常に楽しく思います。
私は今、「手毬唄」を読み直している最中で、その後できれば「犬神」を読み直したいとおもっています。だいぶ先になりそうですが・・・。

アスランさんの読後の記事、楽しみに待っております。

今年も宜しくお願い致します。
イエローストーン
2007/01/08 08:43
イエローストーンさん、TBありがとうございました。
「病院坂…」での“今ごろは雪が降っているだろう”とふるさとについて触れるシーンが好きな者としては、かつ、原作で抱いた印象から“風来坊”であっても“天使”では…?と思っている私には、『天使のような風来坊』とは何ともストンとくる言い得て妙のあらわしようです。

「コロス」とは初めて知りました。神々の代弁者とは。石坂浩二、本当にすばらしいですね。「金田一です。」、読んでみたいです。
ぐれた
2007/01/20 20:15
ぐれたさん、コメントありがとうございます。私も“天使”というのは、違和感があるんです。私も金田一=風来坊なんですよ。もう、根っからの風来坊、その印象です。ただ、この記事はタイトルとおり、「市川崑の金田一耕助」について私なりに書いたもので、その私の譲れない抵抗というか、その部分でむりやりくっつけました。
ただ、記事にも記述して通り、市川監督も風来坊は理解されているんですけどね。
石坂浩二氏の演技対する深さに驚きました。「金田一です。」是非読んでみて下さい。
「病院坂」、またみたくなりました。では。
イエローストーン
2007/01/21 10:01
どうにも珠世が佐清を愛した理由だけが腑に落ちない。作者がそういう構図を取ったところになんとも不思議を感じる。本来最も同情を受けるべき人間は青沼菊野の息子、静馬であるからだ。
珠世が誰も愛していないのならばすっきりするのだが、こういう結末にした理由がどうしても不明である。また、佐清、佐武、佐智、静馬、珠世、この5人は全て、犬神佐兵衛の孫である。彼ら同士の結婚を財産相続の条件とするところがまた近親相姦を前提としておりエグイ。
でもどうにもやっぱり腑に落ちない結末だにゃ〜
あべび
2007/04/29 00:59
あびべさん、こんにちは。コメントありがとうございます。珠世が佐清を愛した理由、それは私にも分かりません。ただ、珠世、佐清、佐竹、佐智は当然成人する前より同じ邸内にすんでおり、それぞれの容姿もそうですが、性格描写をみるときにやはり佐清に心惹かれたのではないでしょうか。佐清も。それを佐兵衛翁は感じていた、知っていたのだと思います。そして佐兵衛翁も同じことを望んだ。静馬は佐兵衛翁の実の子供で、初の男の子。私も当然一番愛情がそそがれるべきだと思うのです。佐兵衛は一度、菊乃に家宝を渡し、正妻としてむかえようとしますよね。しかし、それを娘達に差し違えると反対される。こういう行動もとっています。もし、菊乃が正妻になれば、静馬は嫡男。たとえ女の子でも正妻としてむかえられれば、実の子に継がせたかったのでしょう。それがその時の佐兵衛の本心だったと思います。
イエローストーン
2007/04/29 10:04
しかし、それがかなわなかった。そして、やがて本当に愛した女性・春代との間にできた娘・祝子にやっと子供ができた。珠世である。そこで佐兵衛は野々宮珠世を犬神珠世にすることをのぞん。そして3人娘たちに菊乃への復讐もこめて怨念の深さを思い知らせる方法をとったのではないでしょうか。佐兵衛がなぜ50をすぎるまで正妻をもたなかったのか、それはやはり春代への愛だと思います。しかし、愛する女性との娘・祝子に長いあいだ子供ができなかった。十数年間も。それで佐兵衛は他に自分の子供をつくろうと考えた。しかし、結果的には娘たちに邪魔されたことが功を奏し、最終的には生涯で最も愛した女性への想いを貫くことを決めたのではないでしょうか。横溝正史は結局、野々宮珠世が犬神を継ぐことが前提で、つまり犬神佐衛衛翁がその生涯で最も愛した女性への愛を表現したかった。そして、犯人が自分の為でありながら、結局は佐兵衛翁の望んだことをするという構図。そして自分の血が一番受け継がれているだろう孫(容姿的にも性格も)、その人物が要は継ぐこと。そして結局は「犬神家の一族」で継続される点をえがきたかったのでは。
イエローストーン
2007/04/29 10:13
まとめると、
野々宮春代への愛の深さ、佐兵衛翁の真の想いが、その生涯で本当に愛したのは実はだれだったのかが、実の子でありながら静馬でなく、野々宮珠世に全財産・全事業権がいくあの遺言状にこめられているのではないでしょうか。
そして、珠世が自分に似ている佐清と、それが珠世の、佐清との互いの想いも知った上でだが、一緒になること以外は、次ぎの想いのある実の子である静馬に金だけを残して、犬神家は憎しみあいながら自己崩壊させることを望だのではないでしょうか。自分の怨念から自立できない一族の。
つまり愛と共に、珠世の代以降で、真の自立した犬神家を望んだのでしょう。未来は別にして、本作の中では、所詮は佐兵衛翁の、「犬神家」の一族ということではないのでしょうか。
イエローストーン
2007/04/29 10:59
今、まさに原作を読み返している最中ですが、上記のコメントで訂正です。
>それで佐兵衛は他に自分の子供をつくろうと考えた。
これは間違いでした。菊乃は春代のただ一人の生き残った血縁だったのです。佐兵衛翁はやはり、その心には春代しかない。その生涯でただ一人愛した女性、野々宮春代、そこに真の想いがやはりあるのです。
そうなると、後に珠世が生まれれば佐兵衛翁の想いは当然そちらに向く。いかに自分の長男であろうとも・・・。

最後まで読むとまた思うところがあるかも知れません。
その時は記事として記述したいと思います。では。
イエローストーン
2007/04/29 15:26
上記コメントでの訂正。

>珠世、佐清、佐竹、佐智は当然成人する前より同じ邸内にすんでおり

これは間違いですね。常に同じ邸内にいたのは那須本店をまかされた長女・松子一家のみですね。次女・三女は結婚と共に東京支店・神戸支店をそれぞれの夫がまかされ、その地に移っていますね。
佐清だけが、常に佐兵衛翁の側にいたわけで、直接話すことも格段に多かった。ここが他の孫と違う人格になった一つの要因であり、珠世が惹かれた要因では。
イエローストーン
2007/04/29 20:58
レスすみません。
私がどうしても感じずにはいられなかったのは、物語の中では佐兵衛の「一族崩壊への願望」「自らの築いた物に対する呪詛」というニュアンス(たぶん表現は違うと思いますが)でこの事件を結論付けているにもかかわらず、結局結果だけを見る限りトンでもないハッピーエンドだと思うわけです。不満な孫達、殺人まで犯してしまった孫、殺された犠牲者、それらがいるのは事実ですが、愛し合っていた佐清と珠世とが(出所後おそらく)結ばれる・・・これは犬神一族の将来に対するあまりにも清らかで明るい希望に満ち満ちた建設的結末以外の何物でもない・・・本当にこんな結末で作者は納得したのだろうか、佐兵衛の呪詛の感情はこの程度の事で浄化されるような牧歌的なちょとした悪戯ごころから出た程度の破壊願望に過ぎなかったのか・・・。そう思ってしまうのです。佐兵衛という人物(の狂気)を、殺人事件として十分具象化しきれていないような気がしてとてももどかしく感ずるのは、作者を穿ち過ぎるのでしょうか。
あべび
2007/04/30 20:16
続きです。
もし私が佐兵衛の内面を顕在化させるならば、野々宮の名を冠せられている「珠世」、そして迫害の身にあったその息子「静馬」、これら二人のアウトサイダーをして犬神家の全てを奪い去らしめる事により、腐敗した内部(自ら、かつ、犬神家)否定を達成させるでしょう。それでもまだ生ぬるい気がします。う〜ん、どうもすっきりしない結末ですね。
あべび
2007/04/30 20:16
あべびさん、こんばんは。
佐兵衛は一族を崩壊させたくはないのです。ただ自分の怨念の対象、呪縛にとらわれている今の一族では自分と共に崩壊する運命に所詮ある。そのためにも自分の呪縛の外にいる、強い女性、珠世につがせる。というか、逆で、珠世に継がせる為に、つまりは春世と自分の血のつながりのある者に継がせる為に、3人娘への怨念、呪縛が存在しているのです。佐兵衛は珠世には優しく、深い愛を持って接しています。そして、その珠世に継がせることが叶わない場合は、崩壊しかない。また珠世がついだ場合でもその邪魔になるものは崩壊を望んだ。つまり珠世の為に、怨念で3人娘を自滅させようとしたのです。珠世が新しい佐兵衛の呪縛にとらわれていない犬神家を築いていけるように。
イエローストーン
2007/05/01 03:14
つまり、佐兵衛の真の願いは怨念にあらず。怨念は野々宮春世への至上の愛から転じた感情なのです。この作品の核は怨念ではなく、「愛」です。
私は記事で散々記述してますが、佐兵衛翁がその生涯でただ1人愛した女性・野々宮春世への至上の愛が核です。私はそう思っていますので、明るい結末には満足であり、横溝正史も当然納得の結末だと私は思います。
佐兵衛の死と共に、珠世を守りつつ、そのゆがんだ古い一族は、怨念によって無惨に死滅する。犠牲は生じるかもしれないが、それにより怨念という呪縛からの旅立ちを最後は描く必要があると。
最近、犬神に関する新しい記事を書きました。そこに正にこのことを書いてます。つまり怨念より強いものがあったということ。そう、この記事を書いた時とは違う思いを原作を読み直した私は今もっています。
そして、近々もうひとつ記事をUPするつもりです。
ただ、これもあくまで私が感じるところで、あべびさんはあべびさんで当然、感じるところがあるでしょう。そのへんの思いの違いが、意見を交わすことが、またおもしろいんですけどね。
イエローストーン
2007/05/01 03:15
どうもこんばんわ。
>つまり、佐兵衛の真の願いは怨念にあらず。怨念は野々宮春世への至上の愛から転じた感情なのです。この作品の核は怨念ではなく、「愛」です。
この一節で納得出来たような気がします。そういう風に読み解くべきなのかもしれません。ただそう読むと、今度は例の3姉妹が非常に憐れな気がします。彼女達の出生/出自は彼女達に一切責任は無いのに、佐兵衛の怨念の対象となる運命に生きた彼女達の生そのものの不幸・・・
またいつかお邪魔しますね。
あべび
2007/05/01 23:26
あべびさん、こんばんは。
そうですね、同感です。犬神の3人娘は、憐れですね。彼女達の責任ではないのに、父ににくまれ続け、父なのに一切の愛情をもらえず、そして怨念の対象となった。所詮、その生涯は佐兵衛翁の呪縛の中でしか生きられなかった非常に哀しい、不幸な人間だと思います。
ではいずれ、また。
イエローストーン
2007/05/02 19:01

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