取手物語〜取手より愛をこめて

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zoom RSS 「犬神家の一族」〜犬神佐兵衛翁の想念 (再追記)

<<   作成日時 : 2007/04/28 14:36   >>

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私は今、「犬神家の一族」の原作を25年ぶりくらいに再読している。

もうオキマリのせりふだが、原作は忘れてしまっておぼえていない。
まだ、3分の1位までしか読み進めていないが、そのなかで私にとって衝撃の記述があった。
読み終わらない段階で、あえて今の段階で、今の思いで、この記事を書く。

私は金田一ファンだが、その入り口は映画・市川版からであった。どの作品かは覚えていないが恐らく「犬神家の一族」であろう。そして他の作品も鑑賞して大ファンになり、原作もすべてではないが多くを読みあさった。
しかし、以前も記事で記述したとおり、原作は1,2度しか読んでないが、市川版は何十回と鑑賞していて、市川版がある作品は、私の中でその基準というか、中心は市川版にある。
その市川版「犬神家の一族」について。

私は何十回と鑑賞していたのに・・・、自分の理解力のなさ、映像読解力とでもいうのだろうか、その足りなさ、たいそうな記事を散々書いた割には何にも理解していない、そう「悪魔の手毬唄」と同じであることに自分に嫌気がさした・・・。

参照(http://toridestory.at.webry.info/200702/article_1.html


そう、全く同じである。私は金田一耕助が、あの私が感じるところのハードボイルド、あれがたまらなく、大好きになった。そして、いつもいつもその金田一耕助をみることが楽しみであったのである。いつも金田一耕助ばかりを、事件の謎を解く側ばかりをみていた・・・・。

恥ずかしいことながら、事件をおこす側、動機など、ミステリーの核ともいうべき、何故という部分をみているようで全くみていなかったのである。
原作を読んだ方なら誰でも知っていることを私は知らずにいたのである。
私は散々このブログで「犬神家の一族」の核は佐兵衛翁の至上の「愛」であると書きつづけたきた。その割にはその佐兵衛翁の思いを、至上の「愛」の深さ、そしてそこから転じた怨念の深さをまるで理解していなかった・・・。

私は、『市川崑の金田一耕助 〜「金田一です。」(石坂浩二著) 天使のような風来坊2』
http://toridestory.at.webry.info/200701/article_1.html)という記事の中で、

>佐兵衛翁の怨念・想念についても厳密にいうと思い違いをしていた。

と記述した。その時には、私が市川版からは読み取ることのできなかった佐兵衛翁のその怨念の大きさ、深さを「金田一です」(石坂浩二著)のなかの原作の引用文から理解したのだが、その時に気づくべきであった。怨念はあくまで「愛」から転じたもの。怨念の前には深い「愛」がある。つまり佐兵衛翁の深い、想い、願いが・・・・。

私はたいそうめいた記事を書いたわりには、核は「愛」といいつつもそれから転じた怨念ばかりで、その一番重要な、自分でも核といっているその犬神佐兵衛翁の真の想い、願いを理解できていなかった・・・・・・。

これは以前書いた記事が間違いということではない。しかし、大事な点が抜けているのである。

佐兵衛翁の至上の「愛」からなる真の、第一の願いは野々宮珠世が犬神佐清と一緒になることで、互いの想いを、それを佐兵衛翁は知っていたということ。

な〜んだと、そんなことはわかっていることだ、原作に書いてあるじゃないかと多くの方がお思いであろう。そこに私は気がつかなかった、恥ずかしいことに・・・。

私は佐兵衛翁が犬神を野々宮珠世に継がせたい、彼の怨念、呪縛の外にある珠世に継がせたいのが第一の望みであると思っていた。その選択は珠世の自由なれど、願わくば佐清が一番のぞましいと、そして互いの想いもしっていたが、戦争にいっている以上、必ずしも現実しない可能性もあると思ったいた。その時は佐竹、佐智でもそれは珠世の意志にまかせようと。ただ、珠世はその時は、佐清がこの世になき場合は犬神の家を出るだろうと、その時は犬神一族は、自己崩壊の道へと・・・。

これは以前の記事で記述したが、どこが間違っているのかというと、珠世の意志にまかせようという部分である。佐兵衛翁は珠世の意志にまかせるといいながらも実は任せているのではない。つまり佐兵衛翁は全てわかっていたのである。この点を、多くの方は何を今さらとお思いだろうが、この点を私は理解していなかった。

>一族内で自立して崩壊の外にいる珠世に継がせるしかないのである。むろん、そうさせたのは佐兵衛翁本人であるのだが・・・・
ただ、その中でもやはり孫、血族を当然ながら優先している。

や、

>珠世の存在はあまりに大きい、そして孫、やはり孫はかわいいのであろうか、いやそれも珠世の意志ひとつである

などと私は記事で記述している。

そうではないのである。珠世に選択肢をあたえたが、選択肢は事実上なかったのである。実は佐兵衛翁が望んだことはだたひとつ。
珠世と佐清が一緒になり犬神家を継ぐこと。これ以外は真の想いとしては望んでいなかった。
それが彼の真の「愛」であり、それが真の、大きな深い想念であった。珠世の意志は、つまり佐清への深い「愛」、そしてそれを貫くという思い、これが珠世の意識とは別に、それは佐兵衛翁の意志であり、願いであったのである。そして珠世もそれを分かっていたのだと思う。自分が何者かも、もしかしたらと。それが遺言状で確信した。いや、その前に確信していたのかも。そして遺言状でその愛の限りない深さを、その真の願いを知った。そして、この2人が一緒になることが出来なかった場合は、自分の想いの中での嫡男に金だけを渡し、怨念による犬神一族の自己崩壊を望んだ・・・・。

珠世は自立した強い女である。佐兵衛翁の呪縛にはとらわれていない。何故彼女が平然と犬神家にいられるか。それは彼女が佐兵衛翁の深い愛にふれて、気がつき始め、思い、そして確信したからである。そして自分の想いをくんでくれた、いや、共通したその深い想いを悟ったのである。真の愛を貫くという共通の想いを。佐清が戦死し、佐竹・佐智が存命ならば珠世は犬神家をでたであろう。それは、仮に誰かに殺害されたとしても。そして、2人が亡き者の場合、独り身で犬神家にのこったであろう。それは寵愛をうけた、ひとりの強い女としての自分の意志であり、そして彼女も知っていた、それが佐兵衛翁の願いでもあったことを。

そして、珠世と佐清が夫婦となる場合、なった後も邪魔になる人物達を松子婦人が亡き者にした。これも佐兵衛翁の望んだこと・・・。つまり想念と怨念の両方を・・・・。


つまり以前の記事で、珠世は佐兵衛翁の怨念や呪縛の対象でなないと記述した。これはその通りである。呪縛の対象ではないが、結局、珠世も佐兵衛翁の意志の中にあったのではないだろうか。深い「愛」、大きな想念という・・・。

そして、珠世が佐清と一緒になり犬神家の全財産と全事業を手にしたとき、珠世の想いが現実となり、そして2人を邪魔するものが事実上存在しなくなり、佐兵衛翁の想念と怨念が叶ったとき、初めて珠世も真の意味で自立できたのではないだろうか・・・。

市川版には原作のように佐兵衛翁の想いをはっきりと表現はしていない。しかし・・・。
以前にブタネコさんの記事で知った点として、原作では珠世は途中まで容疑者のような描き方をしてあるという様な旨の発言から記事を書いたことがある。市川監督は珠世の佐清への愛を、素直に描くことで、その愛を佐兵衛翁の「愛」と重ねて描くことでその佐兵衛翁の思いも表現していたのである。それを私は気がつかなかった・・・・。情けない限りである・・・・・・。

そして、もう1点、気がついたことがある。
私は市川版「犬神家の一族」でオリジナルのが好きである。リメイクは感動はしたものの、全体の出来としては不満であった。そして、今まで松子婦人の最期の言葉はオリジナルのが好きであり、あっていると思っていた。

『佐清、珠世さんを父の怨念から解いておやり・・・。』

そして、これは娘だから感じる哀しい想い、間違った想いだと思っていた。佐兵衛翁の怨念が遺言状につまっている。その遺言状の苦しみから珠世を解放すると。これが好きであった。松子婦人は最期まで佐兵衛翁の怨念にとらわれ、呪縛の中あったのだと。

しかし、上記の点に気がつくと、リメイクのが本当の意味を表しているように思う。
リメイクのセリフ、表現のがあっているように思う。


『佐清、珠世さんを父の想念から解いておやり・・・・』




先述の通り、まだ「犬神家の一族」を読んでいる途中である。このセリフのどちらが原作通りなのか、いや、せりふ自体、原作にあるものかどうかまだ私には分からない。しかし、非常に意味の深い一言である。変えているところをみると独自のせりふではないかと思うが・・・。

市川監督は当然そこまで理解してリメイクでは変えたのであろう。
すると松子婦人は父の深い「愛」に、そして怨念の深さに気づいたことになる。
当然金田一耕助も気がついており、そこからオリジナルとは違う、あの松子婦人のタバコをすうシーンなのであろうか。『金田一です』にある通り、金田一と松子婦人の間では暗黙の了解があった。全てを悟っているこの人は、この場でも命を絶つことがありうる。その為に驚く顔をしない・・・・。石坂浩二をそう思い、そう演じた。市川演出もそうということになる。
これは想念とは関係ないかもしれない、しかし・・・・。

う〜ん、そうなのか、でも、私はそうと思える・・・。


これから原作を読み進め、もしくは読み終わった段階でまた感じるところがあるかも知れない。また違う思いを感じるかもしれない。その時はまた記事にしたいと思う。
しかし、今の段階で私は上記のように、そのように思う。



以上は私が感じる勝手な思いだが、
ただ、私はやはりオリジナルのが好きである。
そうなるとリメイクは深い描写となり佐兵衛翁の想いを考えると想念のが良い。珠世は怨念の対象ではあきらかにない。まさしく想念なのである。しかし、私は松子は所詮父の呪縛の中で、佐兵衛翁の見えない力・怨念に恐れ怯え、反発し、父を憎み、珠世も自分と同じ佐兵衛翁の怨念から解き放してやり、そして自分も解き放たれると思い、そしてその深い怨念の中、愛する息子の幸せを願い、死んでいくほうが個人的には好きである。
さらには、金田一耕助も松子婦人は生きながらえることは決っしてないとわかっていた。そして彼はその行動を決して止めないであろう。が、この場では、愛する息子の前では命はたたないであろうと、この場ではやってほしくないとの自分の中での思い、迷い、でもひょっとしたら・・・、タバコを吸う手を今は止めるべきか、視線をあげない中にはその自分の中での葛藤があったほうが、その金田一耕助のが私は好きである。それが私の感じる彼の、『市川崑の金田一耕助』のハードボイルドだから。つまりは、優しさ・・・・。
原作の本文はどのように記述してあるのかはまだ不明である。おそらく「悪魔の降誕祭」同様はっきりとした金田一の心情の描写はないであろうと思う。
とにかく私は市川版のオリジナルの描写が、勝手な思いであろうが好きなのである・・・。

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