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zoom RSS 「獄門島」(’77 東宝)  正に市川崑 の金田一耕助

<<   作成日時 : 2007/05/22 00:41   >>

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今、25年ぶり位に読み直していた「獄門島」を読み終えた。

今回も、私の基本である市川版、


「獄門島」 1977年 東宝

監督 市川 崑

原作 横溝正史
脚本 久里子亭

主演 石坂浩二


と比較し、想うところを語ってみる。


原作を読み終えて強く感じた点のひとつは、“市川崑 の金田一耕助”これが大きく展開、ストーリーに影響している点である。

「獄門島」は、原作的には「本陣」のあとの2作目になるのだが、市川版としては、その年代を無視し、「犬神」「手毬唄」につづく、3作目。

市川版としては当然、「犬神」製作時に、市川崑が映像用に独自にスタイルに変えた、所謂、“市川崑 の金田一耕助”で製作している。
「獄門島」原作は、終戦の1年後の昭和21年9月下旬に金田一耕助が獄門島へ渡るところから話がはじまる。戦友だった鬼頭千万太、彼は復員船の中でマラリヤが再発し、死んでしまう。その死に際に、金田一耕助が『俺が帰らないと三人の妹達が殺される・・・・。俺はもうだめだ・・・。俺の代わりにいってくれ・・・』と頼まれた為である。

市川版ではここがまず違う。この点は以前記事にもした。

『市川崑の金田一耕助  「獄門島」、雨宮の存在・・・』
 (http://toridestory.at.webry.info/200610/article_29.html


市川版では金田一の友人の雨宮という人物、彼が千万太の戦友で、復員船に中で自分が帰らないと妹達が殺されるということを死に際に聞かされる。雨宮はこの恐ろしい話を聞き、気になり獄門島へ行こうと思うが、病気で行けなくなり、金田一に頼むという設定。

千万太が復員船の中で死をむかえてしまうということで、そばにいる戦友にその気がかりを、死に際に打ち明ける。そしてそれはあまりにも恐ろしい内容、それを聞いた金田一の友人が自分がいけないので、こういうことには一番適しているであろう金田一に依頼する、これは全く違和感を感じないかというと、正直そうではない。

雨宮が聞いた内容、それはあまりにも恐ろしい内容だとは思うが、それが素人である雨宮が自分で獄門島までいって止めようと思うのか。結局自分はいけなくなり、探偵である金田一に依頼する。金田一ならばこういう話をすれば必ずいくだろうと思ったのだろう。しかし、いかにその内容から気になったこととはいえ、雨宮が探偵料をはらってまで金田一に依頼するというのはやはり違和感というか、若干の無理を感じることは否めない。

原作では、千万太がその死に際に金田一に頼むのだが、厳密にいうと、それ以前に、復員したら静かな島だから静養をかねて訪れるといいと、紹介状を渡していた。そしてその紹介状の宛名にも意味がこめられていた。そう、千万太と金田一は実際に馬があったのだが、彼は金田一耕助、この男がどういう男だかを知っていたのである。あの岡山県の農村でおこった不思議な事件を解決した男だと。
これには全く違和感は感じない。
何故、市川版では無理とも思える設定に、雨宮なる人物を登場させたのか。
それは以前の記事にくわえ、もうひとつ理由がある。“市川崑 の金田一耕助”にとって、原作通りに描けない理由が。

ここに市川監督自身の言葉を記述する(『金田一です』石坂浩二著の市川崑による序文)。


映像化に際しては−

扮装は全く同じにする。しかし原作にように有名人にはしない。年齢も不詳だ。だれもがこの雇った風采のあがらない男に事件が解決できるのかと思う。それが見事に犯人を挙げる。もちろん苦心惨憺するが。そして探偵料(あまり高くない)と必要経費を受け取り、かすかな笑顔を残して何処となく去る。愛用の古びたトランクを提げて。

どの物語も親と子の願望と愛憎を、殺人の美学と交錯させながら展開しているのだが、そんな極彩色の世界に金田一が飛び込む。彼のさわやかな孤独感と透明な客観性が映画のもう一つの主題になる。

このようなことを分析していくと、こんなことが考えられる〜金田一は天使ではないのか。



そう、市川監督は、市川版で金田一耕助が有名な探偵であることを嫌った。風采のあがらない男が見事に真相を解明する点、これは原作通りだが、石坂浩二氏のイメージもあったのだろうが、非常にさわやかな、純朴な金田一耕助にした。



この「獄門島」において、あの「本陣殺人事件」を解決した有名な探偵であるという設定をなくすことはストーリーにおおきな影響を与える。

まずの上記の点。
千万太が金田一に獄門島へいってくれと頼む理由が、弱くなる。しかし、これは気のあう戦友で、自分の臨終時にそばいた彼に、たとえ有名な探偵でなくとも、いち友人として頼むことはさほど無理は感じない。しかし、市川監督は金田一本人にはしなかった。有名人にしないといいう他に、もう一点、市川監督のこだわるところがあった。これこそ、以前記事にした点、そう金田一が戦争にいっていない設定である。

これは、上記の市川監督自身の言葉、金田一=天使というコンセプトに加え、市川監督の反戦への深い想い、それがこの設定にこめられているように私は感じる。


そして、この有名でない設定から、金田一は当然、警察関係にも知られていない。さすがに「手毬唄」では若山富三郎演じる磯川警部と知り合いで、磯川が金田一に一目おき、信頼している設定にしたが、他の警察関係者は知らない。シリーズものパターンとしての設定、加藤武演じる刑事を磯川と同じ警部として登場させている。加藤の役は「犬神」こそ原作通りの立花警察署長だったが、「手毬唄」では岡山県警の立花警部として、そしてこの「獄門島」では、同じく岡山県警の等々力警部として登場してくる。
本来、原作ではこの「獄門島」は瀬戸内の孤島であり、当然岡山県警の磯川警部である。そして、2人は「本陣」以来9年ぶりの再会を果たすのである。
市川版では前作にて「手毬唄」を製作してしまっていることで磯川警部に出来ない点も当然あるが、このシリーズをとおして加藤武を登場させることで、監督のこだわる、さわやかな孤独感がうまく描かれる。
そして、加藤が違う人物設定ながら、どこかでみたようなとの演技をするあたりがまたおもしろい。


そして、この有名にしないという点で、市川版でさらにもう一点、原作と行動の意味が違ってくるところがある。
発句屏風である。
原作では、了然和尚は金田一が何者か知っていた。その経緯の詳細は記述を控えるが、そのことに金田一は大きな衝撃をうける。
そう、和尚は夜は冷えるからと屏風を金田一の部屋へ持ってくるが、真のねらいはフェアプレイだった。有名な探偵が島へきたからには千万太からなにか聞いてきたに違いないと和尚はおもったのだ。そして、その探偵に何の手がかりも与えずに殺人を決行するのは卑怯だと思った、その為に。ある意味、和尚の挑戦状ともとれる。そして、鬼頭嘉右衛門のそのあさましいまでの執念を叶えてやるという強固な意志を感じる。犯行をとめることはできないことが前提なのである。犯行がおきてはじめて、屏風の句が謎となる。はたしてそれを、屏風の句と殺人の関係を、事件の真相を解けるかと。

ここで余談だが、テレ東の上川隆也の金田一シリーズ、この「獄門島」ではこの屏風を和尚がおいたのは、本当は和尚は犯行と止めてもらいたかったのではという旨の発言を金田一がする。私はこの設定、せりふ、違和感を感じる・・・。

とにかく、原作にはその明確な理由、意志が存在する。
市川版では、なぜ和尚が発句屏風をだしたのか。
ここで現実的にみて、この「獄門島」では、この屏風の存在が重要で、登場させないわけにはいかない。金田一が見立てを見抜く唯一の手がかりである。

これは出したのではない。部屋にはじめからあった。そしてそれは深い意味などないと思われる。原作では殺人を頼まれた3人がそれぞれ、その句が書かれた色紙を嘉右衛門から1枚づつ受け取り、それを和尚が集めて、わざわざ屏風にはりつけて、金田一のもとに送った。しかし、市川版では、嘉右衛門の臨終時にすでに3枚の色紙がはられた屏風が描かれている。そして、和尚をはじめ、島の人間は金田一の正体を知らず、和尚は、一の生還をしらせてきた復員詐欺同様、千万太の死を単に知らせにきただけで一晩で帰るものだと思っていた。それは寺にきて、
屏風のある書院に金田一が案内された時の了沢のセリフより明らか。
「和尚さんからの伝言で、一晩なので本鬼頭に泊まってももらってもよいのですが、女ばかりの所帯なので自分の書院をお使い下さいとのことです。」このような旨。つまり、単純に一晩世話をするのに自分の書院を貸し、単にそこにいつも置いてあった屏風があった。
んっ、そうなのか、深い意味はないのか?何故、自分の書院なんだ、客間ではなく。それはそこに屏風があるからか・・・。
原作ほどの明確な思いがなくとも、この得体の知れない男、こいつは要は千万太の使いで島にきた。何かしら聞いているのだろうと。そこで、解けるものなら解いてみろとの。その思いがあったのか・・・。
しかし、この屏風を和尚は途中で金田一の部屋から片づけてしまう。和尚は、途中で真相を暴かれるのを恐れだしたのか。
そう、その通りである。それならやはり、屏風はわざと金田一の目にふれさせたのではない。
しかし、そうか。
最初は、とけるものかと思った、しかし途中でこの男が探偵と分かり、しかもかなりキレる。どれで・・・。もしくは、市川版独自の設定、勝野が犯行に絡んできた為ではないのか。
勝野をかばう為に、罪をひとりで背負う為に、屏風を隠したのではないのか。

勝野、原作では本筋に絡む人物ではない。これが市川版と原作の最大の相違点である。

先の市川監督のことば、
>どの物語も親と子の願望と愛憎を、殺人の美学と交錯させながら展開している

ここである。
シリーズとして同じスタンスで、パターンで、「愛」をからめてきている。非常に市川監督らしい、付け加えであり、ミステリーとしても深い効果を生んでいる。過去2作品では、その「愛」は核となる。ここでは・・・、
ある意味、市川版としては独自の、この付け加えた設定が最も大きな側面であり、核と言っていい。つまり、原作の核、鬼頭嘉右衛門の執念にもうひとつ市川版独自の核を、「愛」を付け加えたのである。これが、勝野が犯行にからむ最大の動機である。
しかし、真の核は、それはやはりひとつ、鬼頭嘉右衛門の執念であろう。
原作「獄門島」には動機に「愛」は存在しない。この作品は鬼頭嘉右衛門の小夜への恨み、そして本鬼頭をつぶしたくないという、あさましいまでの執念それが全てである。
そこへ市川監督は勝野、この人物の設定をおどろくべきものにした。親と子の「愛」を描き、それを鬼頭嘉右衛門の執念に重ねたのである。つまり2人とも理由は違えど、目的が一緒なのである。そう、勝野の真の動機が別の、「愛」であるにせよ、結局は鬼頭嘉右衛門の望みを叶えたという点からみれば、やはり核はひとつなのである。

この独自の設定、3作目にして犯人を変えたのだが、これはこれでとても鑑る者を惹きつける内容になっている。
美しいながらの残酷な見立て殺人が展開される中、作品に暖かみをあたえている。そして、この独自の犯人という展開が、金田一耕助のヒューマニズムをもうまく引き出し、描かれている。そして、私はいつもの通り、そこにハードボイルドを感じる。つまりは優しさを・・・・。

 関連内容掲載記事
   『金田一耕助、そのヒューマニズム・・・。』
   (http://toridestory.at.webry.info/200701/article_9.html


そして、了然和尚の犯行に関しても市川版では独自の解釈を含めている。
これは核である鬼頭嘉右衛門の執念が逆に弱まる点でもあるが、私はこの市川版の描写は非常に惹きつけられるもので、ある意味原作よりも実行犯である和尚の動機に現実味をあたえていると感じる。それは金田一耕助のせりふによって、描かれている。

「和尚さんも、島の人間だったような気がします・・・。」

たしかに核は原作よりよわまっている。犯行動機に「愛」をくわえ、執念と重ねている。しかし、ミステリーとしては、大きな最も重要な背景は生きてくる。そう、この作品のタイトル、海賊や流人の子孫が住み、他国ものの存在をよしとしない島、「獄門島」・・・・。

そして、ミステリーとしての深み、この点では原作よりも明確に、つよくそれを感じさせる描き方をしている。
それは以前に、

 『「獄門島」〜真の恐ろしさ・・・ 』
 (http://toridestory.at.webry.info/200610/article_43.html
で記述した点、

まず、一が生還すると島へ伝えにきた復員詐欺の男を冒頭で登場させ、金田一耕助と会わせている。ある意味、この男が、島とは、そして本鬼頭とも分鬼頭とも何の縁もないこの男が事件の引き金をひく。原作では、この復員詐欺は獄門島へ向かう船の中で、和尚と竹蔵の会話のなかでの描写にすぎない。それを映像できちんと描いた。それも非常にユーモラスな描写で金田一とひきあわせている。しかしそれは終盤へのどんでん返しへの布石、驚愕の事実が、最後に待ち受ける。犯行の動機が崩壊してしまうのである。これぞミステリーの恐ろしさ。

市川版での冒頭の10分間、これは非常に深く、意味のある、そして恐ろしい描写である。
一見、ユーモアのある、のんびりとした、ある意味素朴ともいえる、単なる釣り鐘の復員という田舎的な描写にみえる。しかし、実は核とむすびつく恐ろしいできごとが集結されいる重要なシーンなのである。そして、意味を知ってみるときちんと全て描写しているのである。傷痍軍人がインチキである点、原作と違えて、釣り鐘の復員に村長、幸庵を絡めた点、そして、千万太の死を聞いた時、つまり3つの条件の最後が揃ってしまった時の和尚、村長、幸庵の表情としぐさ。さすがミステリーを愛し、熟知した映像職人である、市川崑。

さらに、3つの条件をそろえた件。原作ではやはり同じ日に3つの条件がそろい、和尚はその偶然に、衝撃をうけ、嘉右衛門の執念の深さを重ねてしまい、犯行を決意する。が、犯行は千万太の戦死公報がはいってから行われる。しかし、市川版では戦死の公報が入る前に第一の殺人は決行される。
そう、あの男が条件のひとつを揃えたことが、原作より明確に、つよく表現されている。


しかし、さすがに原作はいつもながら、奥が深く、そして当然ながら展開に無理がない描写がきちんとされている。
まず、なぜ和尚がいかに嘉右衛門の頼みとはいえ、殺人を約束してしまったか。その時は、あさまし執念というより、人間の憐れさに泣く、これは市川版でもセリフを発しているが、それにはある和尚なりの確信をもって約束してしまう。つまり実行したくとも現実的に3つの条件は揃わないという確信のもとに。その旨が原作ではきちんと描かれている。そして、その確信があった故に、余計に3つの条件が揃った時に、嘉右衛門の恐ろしいまでの執念を感じてしまうのである。
さらには、和尚が突拍子もないときに突拍子もなない俳句を口づさむクセがある点、第一の殺人現場で和尚がおもわず口づさんだあのセリフ、キーワード、これに関して今は放送禁止用語だという点で放送できないようだが、報道番組等の表現での使用なら当然だが、映画の中のセリフであり、重要なキーワードであり、時代的なことも考慮した場合にそれがある特定の人達に対して不適切であるという考えが、禁止用語となること自体が私には理解できない。これはいかに非難されようともかまわない、私には過剰な対応であるとしか思えない。不自然なセリフ、言い回しは作品の完成度をおとしてしまう。そしてそればかりか、「獄門島」の場合、作品自体が製作できない恐れがある。おっと脱線、あの和尚のセリフにより、金田一は初期の段階でおおきな勘違いをし、推理を狂わすのだが、それだけではない。原作ではあの妙ないいまわし、てにをはの問題にもきちんと疑問をもつ。そして島の駐在の清水が島をはなれていいる時に、磯川警部と会い、警部もはっきりと金田一の正体を明かさないことから、清水巡査が金田一に深い疑いを持ってしまう点、早苗が一が島へ帰ってきてると、兵隊靴の男が一だと思っていると金田一が推理する理由も市川版の理由に加えて、ラジオの復員だよりからより理論的な根拠を描いている点、本鬼頭にある祈祷所が一つ家とよばれる理由、お小夜が祈祷をする理由、つまり陰陽師・阿部晴明が命をあたえた一族の子孫である点、先にあげた和尚は金田一の素性をしっていて発句屏風を挑戦状としておいた点、など。

いつもながら映像はシャクとのたたかいで全てを描けない宿命がある。

そして、金田一が早苗を東京に誘う点、その耕助の感情。この金田一耕助が絡む恋は、市川監督は別の、いやある意味、逆のかたちで描写している。これが“市川崑 の金田一耕助”としての描写だったのだろう。


そして、市川監督がシリーズとしてそのスタンスとパターンを継承して描いている点、加藤武の刑事や、坂口良子の存在、そして親子の「愛」。これらが非常に生きている。

市川版「獄門島」、こまかな点では、違和感を感じる部分はあり、ミステリーとして、やや弱くなている部分があるものの、作品に「愛」を絡め、別の点でミステリーとしての深みを加え、その醍醐味をより強く表現し、彼のあのヒューマニズムも描き、そのストーリーはミステリーを深く理解し、愛している映像職人・市川監督ならではの展開である。

そして、その展開こそが、この男を一番魅力的に輝かせている。

「市川崑の金田一耕助」を。


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この記事を書くにあたり、市川版も鑑賞し直した。
そして、私が思っていた以上にその独自の核への想いの強さを映像から感じた。今まで何十回と見てきたのに・・・。
私はあるひとつの市川版独自の設定を忘れていた。一と早苗の本当の父、つまり勝野と誰の子の間に生まれた子なのかということを・・・。
やはり、市川版では2つの核が同等で存在しているのかもしれない・・・。

そして、やはり、いつものように私はこの男の、彼のそのヒューマニズムにしびれてしまった。そして、そこにハードボイルドを感じた。
一度はすばやく立って、その後を追うものの、すぐに立ち止まり、だまって、哀しそうな顔で勝野の後ろ姿をみつめる金田一耕助に・・・・。


つまり、それが金田一耕助にとっての真実であり、名探偵のやさしさなのである・・・・。


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内 容 ニックネーム/日時
お邪魔致します。
6月に片岡千恵蔵主演の「獄門島」がWOWOWで放映されますので、また観ようかと思っております。相当お粗末な出来栄えなのは確認済みで、1〜4点の間になるのは間違いないのですが、さてそのどの辺りに落ち着きますか自分で楽しみしております(笑)。市川版とは比較にならない代物ですけど。その時にはぜひお寄りください。

それから、「本陣殺人事件」をベースにした「三本指の男」と「三つ首塔」もありますので、駄作なのは解っていますが、勿論見る予定。
オカピー
URL
2007/05/27 17:50
オカピーさん、こんばんは。
千恵蔵センセイですか。別の意味で楽しみですね。
「三本指の男」「三つ首塔」もやるんですね。
是非、お邪魔させていただきます。
イエローストーン
2007/05/27 21:24

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