取手物語〜取手より愛をこめて

アクセスカウンタ

zoom RSS 続・散りゆく花・・・。  (再々追記) (後記)

<<   作成日時 : 2008/04/19 10:11   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

前回の記事、 『散りゆく花』で、ブタネコさんからいただきたコメントの返信内容について。

この内容、言葉が足りない為に、ひょっとすると中には妙な勘違いされる方がいるのでは、つまり、結局は兵士を、特攻隊員を英雄視し、戦争を美化しているなどと勘違いされる方がいるのではとの疑念をもち、再度、記事を記述することにした。


結局は、順番の問題、何を一番最初にすべきかということなのである。
ブタネコさんも恐らく同じ想いでいらっしゃると想像する。

戦争の是非、その責任、何故戦争に突入したのかの経緯などを考え追求することは別にかまわない。必要であろう。
だが、そうすべきと発言する方の中に、よく特攻隊を英雄視し、美談だけを伝えることは、戦争を美化する危険な考えだと、戦争の責任、何故戦争が勃発したのかという肝心のところを無視している、などと発言する方がいる。
そして、そこを考えないと戦争はなくならないのであるなどと・・・。

戦争の責任、その勃発にいたる経緯を追求、考えることは必要であろう。
そして、それが将来への、未来の戦争抑止につながる点であることはその通りであろう。
だが、未来の為に、その経緯、責任を追及・考える場合には、当然、過去の戦争を振り返る必要がある。振り返らなければ、その検証はできない。
そして、過去に起こった事実は変えられない。

過去に戦争が実際におき、そして兵士も民間人も多くの人がその戦争によって亡くなった、この事実。
将来の戦争を、戦争を二度とおこさないようにすることは重要であり、その為の検証はすべきであるが、検証することによって、未来は変えられるが、既におきた過去は変えられない。検証することによって、反省、責任追及することによって、過去の戦争が無くなるのか、戦死された方々が生き返るのか。それならば、その追及、検証を第一にしてもかまわない。いや、そうすべきである。
たが、過去は変わらないし、亡くなった方々は生き返らない。
その時に、戦争という事実を検証する為でも、何においても、振り返るときに、何を一番最初にすべきかである。

その順番を言っているのである。

多くの方が亡くなられた事実を二の次に、戦争の是非や、責任などと口にすることは、どちらがキレイゴトをならべているのか。

まず、亡くなられた多くの方々、兵士、民間人問わず、戦争によって亡くなられた、戦死された多くの方々への慰霊からであろう。
それを一番にするべきである。
そしてまず慰霊をしてから、さまざまな事を考え、想うべきである。

この順番を違うという方は、
“死んだ人間はかえならいのだから、慰霊などは二の次”という考えは、いかに学歴があろうと、その地位が高かかろうと、人間としての心がない、哀しい、低俗な人種だと私は考える。

そして、その順番を間違うから、兵士を、神風特別攻撃隊を、いや、その隊員達を、その行動を英雄視することが、戦争美化へと直結させてしまうのである。

そしてそれが、“戦争に至った経緯や、その責任という肝心なところはほったらかしで、兵隊達の美談だけを伝える危険な考え”などという屁理屈をうむのである。物事を分けて考えない、ものごとを秩序なく一つにまとめ、 ごちゃ混ぜにする、そう一緒くたにする危険な思想、歪んだ思考回路、正に屁理屈・・・。

敵艦にぶつかって死んでゆくのである。これのどこが、戦争美化になるのか?
どこが美しいであろうか、戦争の、一体どこが・・・。
私は神風特別攻撃隊を讃える気持ちをもち、その言動を知れば知る程、私は戦争の狂気、恐怖、残忍さ、悲惨さを思い知るばかりである・・・。





まず、どのようなかたちであれ、民間人であろうと、兵士であろうと、戦争によってなくなられた方々をまず慰霊することを一番に行った場合に、慰霊する気持ち、心で事実を、行動を考えた場合に、神風特別攻隊を英雄視するのはいけないとの考えには、私は違和感を持たずにはいられない・・・・。





追記

英雄、それは決して輝かしいヒーローということではない。二度と生み出してはならない英雄である。死ぬことが美しいと、格好がいいと言っているのではない。死んでこいとの命令を肯定しているのではない・・・。

命を捧げた、命を捧げる覚悟で戦場にいった兵士達の純粋な想いを英雄視しているのである。


というか、こんなこと誰でも理解できることであって、それを戦争美化につなげることがやはり私には無理があることで、到底理解できない・・・・。

もう、書いていて、非常に、哀しい・・・・・・。





再追記

だいたい英雄視=戦争美化と考える、発想する神経が理解できないし、“戦争美化”などという言葉の存在が信じられない。
戦争が美しいわけがない。殺し合いなのだ。
勇敢に戦った兵士を讃えること、何故これが戦争美化なのか。現実をみないから、多くの死をきちんとみつめ、慰霊の念を抱かないから、それこそキレイゴトばかりならべて屁理屈をこねているから“戦争美化“などという言葉が、私には考えつかない言葉がでてくるのである。


自分達が住む、愛する家族が住む、恋人が住む地を心から守ろうとする純粋な心、戦争の是非など彼らには関係ない、特攻の是非も関係ない、本意でないだろうが、命令であるし、事実戦争がおきていたのである。戦わなくては殺されるのである。今更、何故という状況ではない。
そんなときに今更、どこが侵攻しただの、どっちが宣戦布告しただの、同盟がどうのだの、過去の経緯を、その責任を考えているときではない。

その時の国を守ろうとする純粋な心を、その命を捧げる覚悟を、どうして勇敢であると讃えることができないのか。それが軍国主義・右・戦争美化・・・、そらに言葉と結びつく思考回路が私には正常とは全く持って思えない。

そもそも、慰霊する気持ちのある者から、戦争美化という言葉は、発想さえすることができない。どこからそんな言葉がでてくるのか?
それは歪んだ、屁理屈を吐いている連中からしかでない言葉である。


それを全くの常識と、正論と、理屈であると真に考える人間、発想する人間は、自身で何の疑いもなく、そこに結びつける人間は、普段何を言おうが、どんな美しい言葉を吐こうが、常識をぬかそうが、愚かで、哀しい人格の持ち主でしかない。そしてこのことに自身で自覚していない人間は、もはや・・・・救いようもない、憐れなだけだ。


そして、この点においては、あえて傲慢に言い切る。

恐らく、自身で気がついているはずである、屁理屈であることは。
人の意見をきかずに、単に意固地に、ムキになり、自身の間違いを認めようとせず、自身の思想を正当化するために、いや、人の思想を批判するため、非正当化、不当化させる為に、屁理屈で美化にむすびつけているのである。

図星・・・・・。


そして、そうでないのなら、本当に・・・・・・・・、もはやかける言葉もない・・・・・・・・。





やはり、書くべきではなかったか・・・・。

ただ、神風特別攻撃隊を英雄視することは危険だという思想、英雄視=戦争美化という愚かな、間違った発想、結びつけが私にはどうしても許せなく、私の中での逆鱗にふれ、今まで抑えていたこと破ってしまった。

そして、最初は様々な想いがあることを肯定し、自分の思想は極力書かずに記事をすすめてきたが、この続編にあたり、書く度に、語気が強まり、自分の想いを強く主張するようになってしまった・・・・。

ただ、戦死された多くの方々の慰霊から、戦争の是非を語るのもよい、その責任を追及するのもよい、ただ、まず命を捧げた多くの方への慰霊からはいるべきであることは、だれに何と言われようと間違いであるはずがない。

この点を否定する人間、そうでないと反論してくる人間は、自身が人間失格であることを強く自覚すべきである。



【まとめ】
今一度、この記事の内容について考えてみる。

繰り返しになるが、やはり何よりも一番に、亡くなられた全ての方々への慰霊からはじめるべきである。

そして、兵士達を、神風特別攻撃隊を英雄視することが、戦争美化になるとは、
そう、英雄視=戦争美化、英雄視=戦争肯定、英雄視=軍国主義などとの発想には私は全く持ってならない。
英雄視することは戦争を繰り返すことに、帝国主義や軍国主義の復活へと何故なるのか。戦争の美化に何故なるのか。

特攻隊の存在、その行為の肯定と兵士たちの英雄視は別で、一緒くたにするものではない。

私の想い、考えは、『散りゆく花』とこの『続・散りゆく花』で記述したとおり。


今一度、繰り返す。
兵士達を慰霊する時、その死が、なぜ戦争美化や軍国主義など、戦争肯定の想いへとつながっていくのか。

殺し合いにいくのである。戦場へ。
命を落とす、捧げる覚悟で。
そして、特攻にいたっては、死ににいくのである。狂っている。
これのどこが、美しいのか。どこに戦争を肯定する、それにつながる思考回路がはたらくのか。

末端の兵士達を想った場合に、その家族、親の立場で考えた場合に、やりきれないでしょう。
若い息子や、夫、父親を戦場へ送り出す。
豆酢さんから頂戴したコメント通り、胸がつぶれる想いでしょう。
そのどこに、美などという文字が、想いうかぶのか。
戦争の無惨さ、悲惨さ、狂気、愚かさを感じずにはいられない。

そして、戦場へいく兵士を想った場合に、同じであろう。
彼らは、それこそ難しいことは考えていない。純粋に、国を、生んでくれた母を、育ててくれた両親を、愛する妻を、子供を、恋人を守る為に、命を捧げる覚悟で戦場へ向かったのである。
特攻にいたっては、死ににいったのである。
その命を捧げる覚悟を、立派だと、勇敢だと讃えて何がわるいのか。
それのどこが、なにが、戦争の美化や、戦争の肯定、軍国主義につながるのだろうか。
私には疑問でならない。

死ににいくことは決して美しくはない。
勇敢視=美ではないのである。
国を守る為に、愛する者達の為に、命を捧げる行為これを美しいというのか、いや、私は違和感を感じる。
その行動を、勇気を讃え、英雄視しても、美しいとは決して想わない。

花は、咲いていてこそ美しいのである・・・・・。


私は、国を守る為に、愛する人達を守る為に、命を捧げる覚悟をして戦場へいった兵士たち、中でも神風特別攻撃隊の兵士達を想うとき、その行動を、実情を知ったとき、立派で、勇敢であると、讃えると同時に、戦争の無惨さ、悲惨さ、狂気を、愚かさを痛感せずにはいられない。





【後記】

本日、私は安管の講習会に出席していた。
その中で、講師の方が、
“危険をさける為には、振り返ってばかりではダメ。振り返ることは必要だが、それだけではいけない。
先を、未来をみつめないと。そうでなければ危険は予知できないし、予知できなければ、危険は避けられない”

こう、仰られていた。


この記事を書いて間もない私は、やはりこの、記事ないについて考えがおよんだ。


そう、過去を振り返ることは必要である。
過去の繰り返すべきでない出来事へ至った経緯を検証しておくことは必要である。
それは危険を予知する上で、同じ道を歩まぬようにする為には、必要なことである。

しかし、過去をみてばかりではいけない。
過去の責任、追求ばかりでは何もならないし、最初の記事で記述したとおり、時代感が違う状況では、過去の出来事、その行動や決断などの是非を問う上で、必ずしも正しい答えがだせるとは思えない。

しかし、いつの時代においても、変わらない想いがある。
それが、兵士個人個人の、想い。
そう、純粋に、国を、愛する者たちをまもろうと、その為に、勇敢にも命を捧げる覚悟した想い。
これはいつの時代においても変わらないであろう。

これは未来の為にも、やはり、兵士達の勇敢なるその想いを、神風特別攻撃隊の隊員たちのその勇敢なる、純粋な想いを、死を決意した覚悟を、その事実と共に、伝え、知ることが、戦争の悲惨さ、狂気、愚かさを学ぶ上で、未来の戦争回避のために、やはり必要なことだと私は想う。

そして、戦争を考える上で、なによりも、先にすべきこと、それは未来の為にも、一番にすべきこと。
それは戦争において、亡くなられた全ての方々を慰霊することであると想う。







テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
戦場で戦って亡くなった兵士達にも、戦火に巻き込まれて命を落とした一般市民の方々にも、せめて安らかな眠りが訪れるよう、祈るばかりです。
私は2人の息子の母親ですし、とにもかくにも戦争を起こさんように最大限の努力をしなくちゃならんだろ、といつも思ってしまいます。
国同士の関係だかなんだか、難しいことは私にはわかりません。しかし、戦争で亡くなった人たちの無念を思えば、自然と“戦争を避ける努力をしなければならない”という気持ちになるような気がします。…違うかな(^^ゞ。
だって、もし自分の息子が特攻隊に選ばれたりしたら…と思いますとね、胸がつぶれますよ。同時に、「おかあさーん!」て叫びながら死んでいった隊員の人たちのことを考えてしまい、言葉にならんです(-_-;)。自分も、若い頃は物事が全然分かってなくて、特攻隊を特殊な目で見ていたこともありました。でも今は違うなあ。彼らの感じていた悲しみと痛みを、つたないながら実感できるようになったと思います。
豆酢
2008/04/22 11:23
豆酢さん、こんにちは。
おっしゃる通りです。
戦争は二度と起こしてはしてはなりません。そうのように努力すべきだと私も想います。
その時に、記事の通りなんですが、戦争の是非、責任、それに至る経緯などを今後の為に、二度とあやまちを繰り返さない為に、検証、振り返る場合に、多くの亡くなった方々の慰霊をまず、すべきだと思います。様々なことを議論、検証するのは戦死者達を慰霊してからだと。
そして、慰霊の念をもって、亡くなられて方々を想えば、その実情をしれば、戦争は二度とおこしてはいけないという想いに、気持ちに自然になると私は考えるんですけどね・・・。

今一度、整理した想いを記事にUPしてみました。まあ、繰り返しなんですが、やはり、何度冷静に考えても、同じ想いなんでよね・・・。

最近は映画を鑑賞しない日々がつづいております。
また、映画の件でお邪魔させていただきます。

コメントありがとうございました。
イエローストーン
2008/04/22 15:09

厳選記事

続・散りゆく花・・・。  (再々追記) (後記) 取手物語〜取手より愛をこめて/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる