取手物語〜取手より愛をこめて

アクセスカウンタ

zoom RSS 生きる権利と罪の重さ・・・、そして一つの選択肢・・・。

<<   作成日時 : 2008/04/29 13:07   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

今、死刑制度についてのTVをやっている。


若一なんとかという死刑制度反対の作家が、冷静は口調で自身の主張をのべている。
私も、冷静にきいているが、私にはどうきいても屁理屈にきこえる・・・・。

“法で、公務員の虐待は禁じられている。死刑も虐待である。“

また、室井なとかという、これまた女流作家かなんかが、

“いかなる理由でも人が人と殺すのはよくない。”


人が人をころした場合、何をもって償うのか。
日本には終身刑がない。
終身刑こそ、飼い殺しこそ、残虐ではないかと、これは死刑制度に賛成する大沢弁護士の発言。
私はこれにも違和感を感じる。

人それぞれの見解だが、世に出られない以上、死んだほうがマシという意見も当然あるだろう。
しかし、私は獄中であろうと、たとえそこから死ぬまででられなくとも、別に獄中で毎日拷問をうけるわけでもなく、そうでなければ生きていることのがいいのではないかと感じる。

昔、よく憶えていないが、何かの番組だったと思うが、死刑囚が、“やはり死にたくないと、獄中だろうが、どこだろうが生きているほうがいい”と発言していたのを憶えている・・・・。

先日、ある講習会で講師の方が、
“光市の件も、ようやく死刑判決がでましたね、まあ上告するでしょうが。
日本は3人殺さないと基本的に死刑にならないんですから、あれもオカシナ話です。
2人じゃ、ダメなんですよ。
あれは、赤ん坊を殺してるんですよ。赤ん坊というのは未来的考慮したら、大人5人分に相当しますよ。”

これは、講習会での余談の部分での発言、この方はご高齢なんのだが、非常に頭がよく、社会の様々な出来事を皮肉混じりに話ていて、まるでビートたけしの漫談をきいているようだったのだが、おっとコレこそ余談。


またその若一という作家は、

“同じ人を殺した人間でも、死刑になる人とならない人がいる。この点はどうするのか”

これも笑ってしまう。屁理屈にしか私には聞こえない。

これは私が、死刑賛成論者でもあるからだが、一般的にみて、全ての出来事を機械のように一定の基準で振り分けることはできない。

だが、死刑廃止論者からは当然、廃止すべき理由としてつかれる点であろう。
彼らは、不公平だと主張してくる。
それなら、人を殺した人は、差別なく、全て死刑にするのか。そうはいかない。だから廃止すべきだ、と。


う〜ん、非常に、当然、難しいことである。
そして、死刑について語る場合に、冤罪がある。

私は死刑確定囚が、執行されることなく、いつまでも獄中であろうが生きていることに違和感を感じる。
これは先に記述したとおり、どこであろうと、拷問のような行為をうけているのだはない場合には、生きているほうがいいと思えるからである。

ただ、番組内で、

コメンテーターの1人が、名前が、忘れた、
“死刑は執行されてしまうと、冤罪の点を考えた場合にもう元にもどせない。”
これは正しく、その通り。

この冤罪という点をつかれると、私も反論できなくなってしまう。
だが、全ての事件が冤罪の可能性があるわけではない。
その可能性がすこしでもある場合は、執行するべきではない。
ただ、再審の手続きなど、その壁が高い現実は当然、改善すべきである。


しかし、やはり基本的に私は死刑は、死刑という刑罰は必要だと感じる。
それぞれの見解によって、終身刑は死刑に等しいと、いや死刑以上に残酷だと感じる人もいるだろう。
私のように、いかに獄中であろうと、死ぬまで生きられることの方が、死よりはるかにいいと感じる人間もいるだろう。

やはり、人が人を殺めた場合に、その殺人者はどう償うべきか。
とくに、完全に金目当ての犯行や、自身の欲望を単純に満たすだけの殺人の場合・・・・。

人と殺した人の中に、死刑なる人とならない人がいる。
同じ2人殺した人でも、死刑になる人と、ならない人がいる。だから、死刑は廃止すべきだ。

この主張、私には何度聞いても、何度冷静に考えても、屁理屈にしか聞こえない・・・・。

ならば人を殺した人は、自動的に死刑にするのか。死刑がなければ、自動的に終身刑にするのか。
その為に、裁判するのだあろう。
判例はあれど、様々なケースがある、だから1件、1件、裁判するのであろう。あたりまえだが・・・。
そして、ケースに応じて、1件、件、判決がくだされる。
そして、人間が裁判する。同じ人間が、それゆえ冤罪も生まれる可能性がある。

これも先日の安管の講師の方が、
“裁判官、彼らは頭がいいのは間違いないだろうが、それでも最近は」中には女子高生のスカートの中をのぞく奴がいる。
だから、司法試験に、様々な問題を混ぜるべきなんですよ。
例えば、従来の問題の中に、「スカートの中をのぞいてもいいのか?」っていう問題もね。”

さまざまな問題が現実的ある。

殺された被害者遺族が、その殺人者をころせば、同じ殺人犯。同じ犯罪者・・・・。
その感情は理解できる。
殺されなければ、殺そうなどとはおもわないであろう・・・。
ただ、やられたら、やりかえすでは、気持ちはわかるが・・・・。

今日は、当たり前ながら酔ってないので、正常なんですが、潜在的に、心のうちにある想いでは、社会はなりたたないのでね・・・。

ただ、やはりその都度、ケースごとに判断すべきで、全部を一緒くたにして、死刑廃止、賛成と議論するのは危険な気がする。


光市の件などは、
『若いあんちゃんが、ただやりたいだけで、若い奥さんとその赤ん坊まで殺した。』
としか、私は思えないし、事実そうであろう。
たとえ弁護人がいかなる屁理屈をこじつけこうよとも。
もっとも、ドラえもんがでてきては、屁理屈以下だが。

あの弁護士は、死刑制度の廃止と本件をからめてしまっているからね。
現状の法律では、我が国は死刑制度が事実あるわけで、たとえ、廃止論者だから、ハナから死刑をかんがえないというには、現実にそぐわない思考回路で、その主張とは別にすべきである。
ただ、それでは自分の主張がなりたたなく、信憑性がなくなるか、しかも彼は弁護士だしね・・・。

非常にやはり難しいね・・・。

ただ、人数でわけるべきものではないが、3人も、4人も、自身の欲望、それは金であったり、地位であったり、性的なものであったり、怨恨であったりと、様々あるだろうが、そのような人間は、その人の未来、いかなる人間も反省し、立ち直る可能性があるとう人がいるが、実際にその殺人者にころされた人は、もう未来はない。
生きていて、罪をつぐなうことはまさしく理屈で、その罪のひとつとしての死刑。
上記のように、死をもってしかわからないものがある。終身刑は、獄中であろうと生きている。
その殺人者の未来よりも、その殺人者がおこした殺人という非人間的な行為を、どう裁き、償わせるのか。

う〜ん、うまく言えない。
これも完全に、反対論者からは屁理屈といわれるであろう。
しかし、殺した罪は、死をもってしか償えないはずである。被害者にはもう未来はないのだがら。
こう考えると、江戸時代の仇討ち制度のがわかりやすいのかね・・・。
おっと、脱線。

私は、人数ではないのだが、一般論として、3人も、4人も殺した人間が、いかにその後に反省しようとも、獄中であろうとも生きていられることに、違和感を感じる。

いや、最近では、それらのきちんとした動機がなく、多量無差別殺人をくわだてる奴がいる、この現状。
私は、非常に難しい問題ではあるが、死刑は必要だと思う。

それは反省している、していないに関わらず。
いかにあとで悔い改めようと、その殺人者が自身でおこした、殺害という事実の責任とらなければならない。
反省すれば、過去が、人が生き返るわけではない。

全部がそうではないだろうが、中には自身が死刑と確定して、その執行の間までに、その罪を重さを真に理解できた人もいるはずである。


これは、様々な意見を人とそれぞれお持ちであろう。
時代の流れ的には、死刑を廃止している国のが多いのかな。

しかし、一緒くたにしてはいけないからこそ、光市のような殺人者は、
自身の性的欲望のために、それを満たすだけでなく、その事後に本人まででなく、その子供、しかも口もきけない、証人能力のない、赤ん坊を殺してしまうような人間。反省していようとも、許せないのに、あの全く反省もかけらもかんじていない人間は、その遺族感情とは別に、冷静に判断した場合に・・・。

ましてや、動機なくして、
“ただ、人を殺してみたかった。”などという奴らが、現実にいる今の時代、私は未成年者という年齢の区切りにも疑問をもつ。
未成年者なら何人殺してもいいのか。
まだ未来があるから、じゃ、それこそ殺された人の未来は?
年齢や、その後の態度ではない。その起こした事実、それについての責任を、罪をつぐなうべきなのである。

私がいうと誤解を招きやすが、全ての罪を死刑しろと、全ての殺人を死刑にしろと、また、死刑を積極的に適用しろとはいわない。そのケースに応じてである。

他人の生きる権利を強引に奪った人間に、はたして生きる権利があるのかどうか・・・。


現代の実情、バーチャルと現実の区別がつかない奴らがいる今。
実際に殴りあいのケンカなどを子供時代にしない今。
学校で先生が叱る際に、ビンタなどされない今。
(私の頃は、往復ビンタで鼻血をだした生徒もいたし、先生が足を蹴って、骨折した生徒もいた。
これはさすがにやりすぎというか、加減の問題だが、別に大きな問題にはならなかった。)
人を傷つけることが、解っていない人間がいる今。
安易に殺人は起こりやすい。

そして実際に、
“未成年だから、俺は人をころしても死刑にはならない”
などと考える奴やがいる以上、私は死刑は選択肢のひとつとして、なくしてはならないと、強く感じる・・・・・。


















テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。光市の事件、あちらこちらのブログで(死刑制度と絡めて)取り上げていますね。
私はその中で、一部のブロガー達が、あの死刑判決を支持している一般大衆を一緒くたにして「殺せ殺せの大合唱」「集団ヒステリー」等と揶喩している事に腹が立っています。その事で一つ書こうかと思っているのですが、まだうまくまとまりません。
ちなみに死刑について私の考えですが、現状では存続、もし恩赦等の釈放無しの終身刑があれば廃止しても良いかなと。但し残虐で人道的に不可能かも知れませんが、生きている間中に痛み(肉体的・精神的)を与え続ける刑を設定してはどうかとも思っています。
よーくろ
2008/05/04 22:13
よーろくさん、こんばんは。
光市の事件は、現在の日本では当然死刑でしょう。死刑廃止論は別にして、実際にその刑が存在するわけで、正常な人間なら当然そう思うはずです。
歪んだ、意固地な屁理屈をはく連中は相手にできませんし、死刑廃止論をそれこそ混同し、正しく屁理屈をはいているのです。

ただ、死刑をどうするかを議論することは別にかまわないでしょう。ただ、私は記事の通り、刑の中の選択肢として、極刑として必要だと強く感じます。
いかに生涯獄中といえど、生存していることは私としては・・・。
死をもってしか償えないもの、それが殺人だと考えます。
おっしゃる刑罰は私より過激ですね。それこそ人道的に不可能だと想いますが、死刑が廃止となればその考えも私的には有りというか、その線しか譲歩するとしたら無いですかね・・・。
イエローストーン
2008/05/05 22:04

厳選記事

生きる権利と罪の重さ・・・、そして一つの選択肢・・・。 取手物語〜取手より愛をこめて/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる