取手物語〜取手より愛をこめて

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zoom RSS ネバダ・スミスはもういない・・・。   「クリスタル・スカルの王国」に王家の谷を見た・・・。

<<   作成日時 : 2008/08/03 02:43   >>

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インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」は、その出来とは別に、4度インディがスクリーンで見られる喜びと同時に、あの遊び心満載の描写が大いに楽しませてくれたのと同時に私に複数の点で非常なる衝撃をあたえた作品であった。


すこし前、私は心の嵐がふきあれていた。
ちょうどその時に、酔った勢いからはじまった私の映画への熱い想いをいくつかの記事にした。


  『映画とは、光と影、職人の技の結晶。そして映画とは、娯楽、大衆の娯楽である。』

  『映画への想い・・・。   賛同と反感。  〜これが私の映画への熱い、深い想い・・・。』

  『自身に問う、何故、映画=芸術に違和感を感じるのか・・・・。』

  『映画とは娯楽、大衆の娯楽 〜概念と条件のあやまち

  『映画とは娯楽、大衆の、万人のもの。決して難しいものにしてはいけない・・・。』


等々。

まあ、心が荒れていた時期でもあったのだが、酔った勢いで書き始めたのが元で、へんにムキにその自身の想いを書き連ねている。
私がよくおじゃまする『映画と暮らす、日々に暮らす。』のvivajiji姐さんからも指摘されたのだが、グラス片手にまあ、よくもムキになって書いてますわ。
また、精神的にもイライラしていたんでしょうね・・・。

ただ、酔ったからこそ、これが私の本音なんですね。そう映画に対する真の私の想いなんです。


これらの記事の中で私は、

 「映画は娯楽、大衆の娯楽」

 「映画は万人のもの。けっしてむずかしいものにしてはいけない。」

 「映画は楽しむもの。ヒューマンだろうが、悲劇だろうが。」

 「映画を鑑賞するのに知識や勉強など必要ない。」

 「映画とは誰が見てもいい。」

 「映画はみて、何かを、何かひとつでもいいから感じればいい。」

 「映画を数多く見て、とにかく感じる。そしてその感じるなにかが自然とふえてくる。
  そして、やがては映像の行間を読み取ることも、製作者の意図をよみとることも感じるようになってくる。」

 「映画はただ集中して鑑賞する。それだけでいい。」

 「何かをするのは、映画を鑑賞してからでいい。」

等々、これらを繰り返し記述してきました。
これが私の映画に対する想いであり、自身の映画の見方、楽しみかたなんですね。

要は、頭の悪い私は、映画を鑑賞するときに、余計なこと、むずかしいことを考えたくないんですね。
ただ、見たいです。そして、ただ感じたいんです。
何かしようと思って鑑賞することがとても抵抗を感じ、重荷になってしまうんですね。
例えば、製作者の意図を読み取ろうとか、なにか感想を書こうなどと思うとダメなんです。
ブログで記事を書きますが、ブログのために、つまり記事を書くために見ることは抵抗があり、集中できず、そして、映画を楽しめなくなってしまうんですね・・・。


ただ、誤解なきよう申し上げますが、自身の見方、楽しみ方をきちんともってらっしゃる方はそれをすればいいんです。それがその人の映画の楽しみ方なのですから。
そう、知識をフルに活用して、勉強して、そして製作者の意図を読み取り、映像の行間を読み取ることが苦なくでき、そうすることが楽しいかたは正にそれをすればいいのです。

私は、自身がそうなのですが、要は世話をやいている部分があるのかもしれません。
つまり、私はひとりでも多くの人に映画を見てほしいんです。
映画好きな方、映画通な方は当然ですが、普段映画をあまり見ないかた、しばらく映画館には行っていないな〜、久しく映画を見てないな〜という方々にこそ、映画をみてほしいんです。

それらの普段あまり見ない方の中には、私のように、何かをすると思うと抵抗を感じる方もいると思うんですね。
だからこそ、映画は別に何も考えることなく、鑑賞すればいい。ただ集中して鑑賞すればいい。そして、何かひとつでも感じればそれでいいと思うんです。

そして、多くの画にふれれば自ずと、その感じる何かかがふえてくるのです。
そして、いづれは製作者の意図を読み取ることも感じれるし、映像の行間に意味さえも感じ取れることができるようになってくるのです。私がそうであり、これは間違いないと確信して疑わない点です。映像の読解力があるとすれば、回数をみて、感じることから自然とみにつくのです。すべては感じることから始まるのです。


おっと、またまた記事で記述したことの繰り返しで熱くなってきてしまいました。

話を戻しましょう。



これらの記事、内容を書いた私には、「クリスタル・スカルの王国」は数々の衝撃をあたえてくれました。

ただ、私のこの熱い映画への想いは今も、この「スカル」をみた後でも変わっていません。
ただ、あまりにもタイムリーで、う〜ん、やはり衝撃でした。



まずルーカス、スピルバーグの自作品へのオマージュというか、まあ遊び心のですよね、あの冒頭の「アメリカン・グラフィティ」にはじまるセルフ・パロディの数々。

私は知識や勉強は必要ないと今でもおもっていますが、記事でも記述したとおり、それらは、それらが、映画をより深く理解もしくは楽しむ上で邪魔にならない、いや必要なことは間違いないんですね。

今回でいえば、「アメ・グラ」「スター・ウォーズ」「バック・バック・トゥ・ザ・フューチャー」「未知との遭遇」あたりをみていると感じる点は、別の意味で、その遊び心を楽しむことはできるのは間違いないですね。
(シリーズなので、過去の作品を鑑賞していることはもう、前提ですね。)

ただ、別に見ていなくてもいいです。本筋には影響のない部分ですし、それに気づかない方はそれで十分に楽しめるんです。
ただ、事前にそれらの作品を見たい方は、見た上で「スカル」を楽しみたい方、そうすることが苦でない方は当然、みればいいです。そこは否定はしません。いや、そうすべきです。

ただ、この「スカル」をみるのに、他の何本かをみるのは面倒とか、そこまでするのならみたくないなどと思う人は、別にみなくてもいいです。この「スカル」だけを見れば。そしてその自身の感性と受け皿の中で感じて、楽しめばいいです。

そして、鑑賞後に、それらを知り、見たいと思った方はそのときにみて、機会があれば今一度「スカル」を見ればいい。それでいいと私は思うんです。


ただ、やはり多くの映像にふてておくこと、また知識などはより映画を楽しませるということを、より多くのことを感じられるというのを強く確信させられた点でした。これは次あげる点にもいえることですが。



そう、次に衝撃を受けた点は、いやその前に、私が自身の映画に対する想いの中で記述した点をまた、

 「映画とは監督のものである。だが映画は公開した時点で鑑賞した人それぞれのものにもなる。」

 「監督は、映像に対しての自信と、これが理解できるかとの傲慢さと、そして解る人だけ理解すればいいとの開き  直りが必要である。」

というような旨を記述してきた。そしてそう想って疑わない。

その私にはそう、あのシーンが衝撃でした。

あの核爆弾のシーン、いや「アトミック・カフェ」と言ったほうがいいかな。



まず私は「アトミック・カフェ」を知らなかったんですね。
1982年に公開された、核兵器に関するドキュメンタリー映画。
監督は、ケヴィン・ラファティ。そうあのマイケル・ムーアの師匠にあたる人物です。
それだけで、どういう内容のものかは想像がつかれることでしょう。

ただ、私は鑑賞当時知らなかった。
ただ、知らなくとも、いや、知らない方がある意味、強い衝撃でした。

映画の存在をしらずとも、アトミックなカフェ?!
なんだそりゃ。かなりきついといか、あぶない表現だが。
そして、すぐに直結しました。エリア51といえばネバダ。
(その前に年代と共に場所もスーパーされてたかな?)
そしてネバダといえば核実験場

すると案の定、インディが核実験場に迷い込みます。
最初、さすがに鉛とはいえ、あの冷蔵庫で助かるのはやり過ぎという感がしましたが、
あのキノコ雲を間近で見つめるインディの姿は、衝撃でした。特に日本人としては。ただ、すぐに、あっ、これはアメリカの過ちを描いているのだと想いました。
そしてその後、インディがブラシで体を洗うだけで平気にしているので確信しました。「アトミック・カフェ」の存在を知らずとも。

そして、同時に昔TVでみたアメリカの核実験のドキュメンタリー映像を思い出しました。

それは、核爆弾を落とした後、そのキノコ雲に向かった突進していくという訓練をしている映像でした。
そして、まさにブラシなどで体を洗うだけ。

この過ちを、あのふざけたアトミックなカフェなるものを存在させ、描き、風刺し、批判しているのだと感じました。

画像

「アトミック・カフェ」より



そして、鑑賞後に自身でいろいろと調べ、「アトミック・カフェ」なるドキュメンタリー映画の存在をしりました。


私は未だにこの映画は未見ですが、いくつかのこの映画に関する記事などを読み、自分なりにこの作品を理解しました。

ここでこの映画に関する感想を記述しているブログを二つご紹介します。


 『毎日が映画記念日』  ビキニスタイルの日/アトミック・カフェ(82・米)

 『中川敬のシネマは自由をめざす! 』 アトミック・カフェ


この「アトミック・カフェ」なる映画の存在を知ってから、なるほどとあの冷蔵庫の描写に納得しました。

あれでいいですよ。あれでインディは大丈夫なんです。

そう、当時、アメリカ政府によれば、
「熱風さえ防げれば、放射能は全く危険ではない。」
のですから。



そう「アトミック・カフェ」をしれば正にあの描写、あのブラック・ユーモアが当然なんですね。
さすがに被爆国である日本人には違和感・嫌悪感を感じるかもしれません。しかし、この意図をしるとまた想いが変わるのではと思います。

アメリカ政府およびメディアへの、そうプロパガンダへの風刺、批判なんです。

「放射能は危険ではない。」と言い続けたアメリカ政府。

それにより、原爆を投下された日本はもちろん、
ビキニ島の人々、そして第五福竜丸、そして、多くのアメリカ人が、そう兵隊も民間人も、多くの自国の国民さえも核に犠牲に、その尊い命を落としているのです。

1951年以降、何百回と繰り返されたネバダでの核実験。
日本への原爆投下後もアメリカは、自国内でその誤りを犯し続け、多くの自らの国の人間の命を奪い去ってきたのです。そのアメリカ人としての想い、怒りが込められているよう感じ、よくぞ描いたと衝撃を受けました。



そして、私がこの「アトミック・カフェ」に気づいたのは、何よりも戸田奈津子女史のおかげです。
あの冒頭の「アメ・グラ」のパロのレースの終わり、道の分岐点に現れる店。あの店の看板だけでは私は気がつかなかったかもしれません。字幕できちんと「アトミック・カフェ」と表示されたことで気がつき、気になったのです。

一緒に鑑賞した友人E君も、「アトミック・カフェ」の映画の存在は知らなかったようですが、彼いわく、

“アトミックだからな〜、文字通り。そしてあの描写なら察するよな〜”
と。


やはり映画とはスクリーンに集中することが重要であると強く再認識させられこれもまた、衝撃でした。




そして、もう一つの衝撃は、「スカル」鑑賞後におおくのこの映画記事を拝読したときに感じました。
そう、やはり映画とは公開された時点で鑑賞者のものになると。

製作者の意図とは別に、人は様々なことを感じると。




私は、下記のような内容を目にし、衝撃をうけ、鮮明におぼえています。


 「キノコ雲の描写は被爆国への配慮が足りない。日本ではカットすべきだ。」

 「あんな冷蔵庫で助かるわけがない。」

 「核爆弾を普通の爆弾と思っているようだ。」

 「あの原爆の描写には違和感を感じる。」

 「あの原爆の描写は必要ない。」

 「風刺なんだろうが、ジョークを交えた描写には嫌悪感を感じる。」

 「あの爆弾は原爆である必要があったのか。」


等々・・・・。

核爆弾であった必要がというのは、ちょっとね、時代背景というか、現実にそうだったわけですから、
事実と違ってしまいますからその点からも・・・・。





やはり、監督は、その画に自信と傲慢さと、そして開き直りとあきらめが必要であると強く感じ、確信し、衝撃だった。そしてスクリーンに集中することを再認識させられた。


でもこれが映画なんですよね。私はこれでいいと思っています。
私も他の映画でこのようなことを感じているかもしれない。

あらゆる描写もその鑑賞時に、その人なりに受け止め、感じればいいと思います。それしかできないのです。
そして、鑑賞後に気づいた点があれば、それを素直に受けとめ、再度鑑賞すればいいと。
そこは柔軟に対応することが映画を楽しむことになるのではないかと思います。
ただ、見返したくない人は初見のままでいいです。
それがその人にとって、その映画なんです・・・・。


鑑賞後に、パンフをみたり、他の方の記事を拝読したり、また気になった点を自身でしらべたりして、知ることはおおくあると思います。そして、またその点から映画を楽しみ、理解すればいいのだと思います。

ただ、いかにある人、ある人たちにとってある画が不快であろうと、映画の表現が制限されることはあってはならないと強く想います。それもそれぞれの人がそう感ればそれでいいです。
不快なら不快でいい。理解できなければそれでいい。
いかなる理由においても表現の自由は犯されてはならないのです。
今の時代だからこそです。現実と空想の区別ができない人間、それだけは唯一映画みる資格がないと私は思います。




とにかく、この核爆弾の描写は、アメリカ人だからこそ感じる怒りがこめられており、被爆国である我が国と同様というとご遺族や被爆者の方には失礼かもしれませんが、同時に悲しみがこめられているのだと思うのですよね。

そして、自国の誤り、その国民としての怒りがこめらており、この4作目だからこそ描けた点だとおもうんです。
この遊び心満載の中、あえて「アトミック・カフェ」そのままに、ブラックで、風刺し、そして批判したんです。
そして私は、よくぞアメリカ人がこう描いたと、痛快でした。

この漫画のような、ブッラクな描写これが必要だったんです。
この漫画が、現実とは思えない行為、これが現実だったんですから。




そして、映画とは見る側に様々なイマジネーションをわかせ、様々なことを感じさせます。

特に思い入れに激しい私は、この核爆弾の描写にはもうひとつある想いがこめられているのではないかとの想いを消し去ることができません。

ネダバ、核実験、そして映画とくればアレを思い出さずにはいられないのです。


そう、「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」。
画像


この広瀬隆著の本を私が読んだのは代ゼミに通っているころでした。

ネバダの核実験と西部劇などのロケをユタやアリゾナの砂漠で何度も敢行していた俳優やスタッフなどの多くの映画関係者たちの死とに因果関係があるのではないかとの点にせまる問題作でした。


実際に多くの映画関係者たちが癌などでこの世を去っています。
俳優だけでも、

 ◇1961年 ゲイリー・クーパー(前立腺癌) 
 ◇62年 マイケル・カーティス(癌) フート・ギブソン(癌) 
       トーマス・ミッチェル(癌) 
 ◇63年 ディック・パウエル(リンパ系癌) ペドロ・アルメンダリス(リンパ系癌) 
 ◇65年 ザカリー・スコット(脳腫瘍) ワイルド・ビル・エリオット(癌) 
 ◇67年 スペンサー・トレイシー(前立腺癌) スマイリー・バーネット(白血病) 
 ◇68年 ダン・ヂュリエ(肺癌) ウイリアム・タルマン(肺癌) 
 ◇69年 ロバート・テイラー(肺癌) 
 ◇70年 カティー・フラド(悪性胃病) マリ・プランチャード(癌) 
 ◇71年 カールトン・ヤング(癌) ガイ・ウイルカーソン(癌) 
 ◇72年 ブライアン・ドンレブイ(喉頭癌) ブルース・キャボット(肺癌) 
 ◇73年 エドワード・G・ロビンソン(癌) ティム・ホルト(肺癌) 
       ルバート・クロス(癌) ロバート・ライアン(肺癌)        
       グレン・ストレンジ(胃癌) ジョン・フオード(癌) 
       シドニー・ブラックマー(癌) ローレンス・ハーブエイ(癌) 
 ◇74年 アグネス・ムーアヘッド(子宮癌) イブ・マーチ(癌) 
 ◇75年 スーザン・ヘイワード(脳腫瘍) フレッドリック・マーチ(癌) 
 ◇76年 ウイリアム・レッドフイールド(白血病) ロザリンド・ラッセル(癌) 
 ◇77年 アンディー・ディブアイン(白血病) ジョーン・クロフオード(癌) 
       ダイアナ・ハイランド(癌) ジーン・ヘイゲン(喉頭癌) 
       ジョーン・テッツエル(癌) 
 ◇78年 フランク・フアーガソン(癌) チル・ウイルス(癌) 
       ケリー・トードセン(癌)
 ◇79年 ジョン・ウエイン(腸癌) ニコラス・レイ(肺癌) 
       シャーリー・オハラ(癌) カート・カズナー(癌) 
       クレア・カールソン(癌) アーサー・ハニカット(癌) 
       ジョージ・プロンデル(白血病) ジョン・キャロル(白血病) 
 ◇80年 バーバラ・プリトン(癌) ベギー・ヌーゼン(癌) 
       スティーブ・マックイーン(肺癌) 
       ジョージ・トビアス(癌) ゲイル・ロビンス(肺癌) 
 ◇81年 リチャード・ブーン(喉頭癌) グロリア・グレアム(肺癌) 
 ◇82年 トム・ドレイク(肺癌) ヘンリー・フオンダ(癌)・・・・・


   (下記に紹介したブログ「草木花便り」より抜粋)



ここでこの本に関する記事を二つご紹介します。


  『SIR JAPAN 「不知夜日記」』 ジョン・ウェインはなぜ死んだか    

  『草木花便り』 もうひとつの“王家の谷”が出現する


この核実験と彼らの死の因果関係は明確には証明されていませんが、これの本には私は当時、強い衝撃をうけました。そして悲しみと怒りがこみ上げてきました。

勝手は想像ですが、核の描写は、この映画界へに影響、多大な損失にも想いが及んでいるのではないかと私は強く想っています。


私は知人に貸してそのままなってしまい、今この本は手元にありません。が、近いうちに再読したいと思っています。
そして、記憶が定かではありませんが、この本では、その危険な砂漠のロケ地域を、『王家の谷』と表現し、
それにより命を落とした映画関係者たちをこの『王家の谷』に一員となったと表現していたと記憶しています。


私的、この『王家の谷』に入ってほしくなかった私の大好きな俳優がいます。
50歳という若さで『王家の谷』の一員になってしまった彼。

彼のことが、この本の中の一つの章のタイトルにもなっています。

最後にこのタイトルを、記述し、彼への冥福をいのりつつ、この記事を終わりたいと思います・・・。



  “ネバダ・スミスはもういない・・・・。”


画像







【後記】

核はこの世に存在してはならないし、決して使用してはならないものです。
そして、狂気の沙汰は繰り返しては・・・・。


まもなく、8月6日と9日をむかえます。
広島と長崎の原爆によってお亡くなりになられた多くの方々に謹んで追悼の意を表.し,ご冥福をお祈り 申し上げます。

そしてさらに、全ての国の核により命を落とした方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


合掌





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映画評「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」
☆☆☆★(7点/10点満点中) 2008年アメリカ映画 監督スティーヴン・スピルバーグ ネタバレあり ...続きを見る
プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]
2009/08/09 17:32

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内 容 ニックネーム/日時
■動画『ツァイト・ガイスト(時代の精神)』について−自分が何かに呪縛されていないか疑ってみよう、それから解き放たれよう!
http://yutakarlson.blogspot.com/2008/08/blog-post.html
こんにちは。私達は、常日頃、自分でものを考え、自ら行動していると考えています。しかし、実際には政治的プパガンダ(宣伝)、マスコミの情報操作、何事かに呪縛(じゅばく、まじないをかけて動けないようにすること。また、心理的に自由をうばうこと。)されている人々から、かなり影響されています。私達は、普段から自分は何かに呪縛されていないかを謙虚に疑ってみる必要があります。根拠なき呪縛と、正しい根拠に基づく規律との違いを認識し、自分が根拠のないものに呪縛されているのだという認識を持つにいたった場合、その呪縛から自らを解放する努力をすべきだと思います。それなしに明日への一歩は踏み出せません。ここには、これ以上詳しくはコメントできません。詳細は是非私のブログをご覧になってください。
yutakarlson
2008/08/03 11:59
こんばんは。

以前イエローストーンさんとトムさんが映画の娯楽VS芸術(美)論を展開していた時、口を挟みたくなったのですが、1000字やそこらで話がつかないので、自制したことがありました。

僕は、映画は芸術と思っています。但し、「芸術は技術ではない」という論旨とは全く反対の【芸術】です。僕の言う芸術は技術そのものなんです。技術とは、最小限の長さで最大の情報を、しかも、映像で示す演出力のことです。そこに映画ならではの美も存在する。
だから、僕は普段から娯楽映画こそ芸術であるなどと申しているのです。

総合すると、表現こそ違えイエローストーンさんのご意見に近いと思いますが、一部トムさんの意見と重なるところもあると思います。

少なくとも、メッセージの有無や主題の高級・低級で映画の価値を決めて貰っては困ります。本作の格の扱いに対する批判のように、リアリズム偏重(による批判)も映画を楽しみ、考える上で大いに問題と思います。
オカピー
2009/08/09 17:49
プロフェッサー、こんばんは。

以前、私は多くの方に、つまり“映画は芸術だ”という旨を記述されている方々にかみつてきました。
“いや、映画は決して芸術などではない。映画は大衆の娯楽だ”と・・・。

そこに込められているのは大衆にみせる為の映画職人の熱い想いと素晴らし技術だとも散々記述してきました。

が、トムさんとの件で、トムさんが私を分析するような質問をたてつづけにされたことを不快に思い意見交換を一方的に中止してしまいました。

それ以来、人に噛みつくこともやめました。
やはりそれぞれの方の中に、それぞれの映画への熱い想いが込められているのだと理解しました。そしてそれはその人には絶対なのだと。

私は自身の想いは決してかわらないし、プロフェッッサー、トムさんそうだと思います。

それぞれの想いである映画というものを、各自が楽しめばいいんだと思うようになりました。

まあ、熱く語っていた直後にこの作品を鑑賞し、様々な作品へのオマージュ、きのこ雲のシーンがあり、様々なコメントを目にしたので衝撃であり、痛感させれらました。

あの核実験シーンの真意を理解できない方々は映画を楽しむ上でたしかに問題であり、いや哀しくさえありますが、しようがないのかなとも思っています。

とにかく様々な想いをあたてくれたとても楽しめた作品でした。「スカル・・・」は。

では、また。




イエローストーン
2009/08/09 21:56
もう一言。

それぞれの感じた映画でいい。
それがその人にとってのその映画。
それは映画というものが誰がみてもいい、大衆の娯楽だと信じるからです。

一人でも多くの人に、そして1本でも多くの映画をみてほしい。そして、多くをみれば、ただ感じる何かもかわってくると相変わらず信じております。

が、やはり希望をいえば画ヅラだけを追うのではなく、自身でのイマジネーションというかなそういうものを広げる感じ方をしてほしいものですね。

また、ちょっと長くなってしまいました
イエローストーン
2009/08/09 23:09

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