取手物語〜取手より愛をこめて

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zoom RSS 植物状態は生ではない。

<<   作成日時 : 2008/12/23 02:23   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2

これはひとりごと、というか私の考えであり、思いである。

私は、植物状態を生と認識することはできない。

人間は、植物ではない。

意識があり、いや、明日か、もしくは十年数後に意識が回復するのかもしれない。
いや、そのままずっと意識を取り戻さないかもしれない。

その間、管につながれ、機械の力によって息をしている状態。

物も食べられず、何もしゃべれず、何も見えず、人と何らかも手段でコミュニケーションもとれない、正に植物状態。
これを、この状態を、人間として、真に生の状態と、生きているといえるのだろうか・・・。

私にはそうは思えない。

真の生とは、すくなくとも私には人間として生きているとは思えない。

機械によって生かされ、その機械を止めればなくなる命。
それが人間としての生なのだろうか・・・。
それは人間としての生ではない・・・・、私はそう思う。


多くの異論、反論があるかとも思うが、人の考えはさまざま。

私の中では、植物状態は生ではなく、またその機械によって生かされている命を、無理に生かされている命を、その命を安らかに、人間としておくることが人間としての行為だと思える。
つまり、機械で無理に生かしておくことは、人間の傲慢でしかない。

その時は、自分の身内であれば、何とかしてくださいと医師に懇願するであろう。
だが、植物状態が何年もつづき、意識を取り戻すことの確率がほんのわずかな場合に、確かに奇跡は起こるかもしれない、だが・・・・・。


私にはその機械をとめれば殺人となることもどうしても理解できない・・・・。

機械によっての延命。
そう、まさに延ばしている命、それは機械によって無理やりに。
これは紛れもない事実である。

息だけしていれば、人間か。

私は決してそうは思わない。

どんなに非難されようが、反論されようが、私には延命措置、
つまり機械によって無理に延ばされる命が人間的行為とは絶対に思えない。

これは誰に何といわれようと、私の中では解決済みのことである。


この件で、一般的ではないと、それは罪だといわれれば、私はその一般が、常識が、間違いであると叫ぶのみである。

人の命とは、尊いもの。
人間とは、意志をもつもの。
故に、懸命の処置を、治療をしたあとで、その時をむかえたら、静かに送ってやることが人間としての思いであり、行為であり、それが真の治療なのである。

多くの意見があろうが、私はそう思う。
そして、誰に何といわれようと、そう、違法だと言われようとも私のこの思いは変わらないし、私の中では正しいものでほかならない。



どんな形態であれ、たとえ寝たきりで動けずとも、自身の意識があるものと、ただ息をしているだけの植物状態では天と地との差。
そう、人間に植物状態などありえないのである。
それは人間でなくなった証拠であり、それが人間としての終着駅なのである。

それを無理に緊急停車させ、終着駅への到着を邪魔するものこそ罪人である。



私はそう思う・・・・・・・。


































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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
私も同感です。
ブタネコ
2008/12/23 03:17
ブタネコさん、こんにちは。

同感との声、ありがとうございます。
非常に心強く感じます。
イエローストーン
2008/12/23 11:38

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