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zoom RSS 市川崑の金田一耕助 〜おどろおどろしさは何処に? オカルト的幻惑に隠された見えない力、それは・・・。

<<   作成日時 : 2009/01/11 22:24   >>

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先日フジで稲垣版金田一の最新第5作、「悪魔の手毬唄」が放映された。

原作を読み、横溝ファンには失礼ながら原作よりも市川版が好きで、基本にある私。
キャストを知った段階で失望と怒りが頂点に達してしまった私は、放映は大好きな金田一なので、何とか温かい気持ちでどこまで頑張って映像化するのかをみようと心がけた。
が、やはり失望感がわき起こり、放映をみてはいたのだが、画面に、物語に集中できずにただ流していた状態にちかかった・・・・。

一応記事もかいたのだが、内容に深くふれるものではなかった・・・。

そして先日、私がよくお邪魔するブタネコさんのブログで、稲垣版の「悪魔の手毬唄」に関する追加記事

 「悪魔の手毬唄(稲垣版) 追記

を拝読して、ブタネコさんが駄作といいきる最大の理由をしり、私も同感に思った。
やはり私は流してしまい、集中して内容をみていなかったのである。

そして、ブタネコさんが書かれていた内容で、自身でかつて記述した記事内容をおもいだした。
そう、それは私が金田一ものに一番惹かれる部分でもある。

そう、おどろおどろしさとは何処にあるのか?
金田一ものの真の恐ろしさとは何なのか?
視覚的効果は幻惑で、実際はそうではない。

私が一番恐ろしく感じ、原作そして市川版で一番惹かれる点、それは

見えない力。

そう、オカルト的幻惑にかくされた見えない力なのである。


以下はその点について、以前記述した記事である。
今回この前文追加し、再度この記事をあらためてUPする。







最近、ネットで「名探偵コナン」をずっとみている。
1話から見始めて、とうとう放映においついてしまい、今また1話からみなおしている。

マンガだが、好きな作品である。

ただ、この「コナン」を見ているとどうしても金田一と比べてしまう。
久々にこの件について懲りずに記述しようと思う。

以前にも記事にしたように、「コナン」は好きであるが、「真実はいつもひとつ」というセリフというかコピーに、そして

『探偵が犯人を推理で追い詰めてみすみす死なせては殺人者と同じ。』

という、このセリフ、思想には私は違和感というか、青臭さを感じる。


この点に関しては以前に記事にしている。


 『金田一耕助にとっての真実



私は人間が偏屈なのか、『コナン』はあれはあれで楽しんでみており好きだで、警察に犯人を引き渡すのは道理であると理解しておりながらも、違和感を感じるのである。

私的に、まず探偵は警察と共に行動することが基本的にはすきではない。
すると当然、真犯人をかならず警察に引き渡す点も、道理であるが、作品的にみた場合に、魅力を感じないのである。

現実的にはこまるが、あくまで作品として楽しむ場合にである。

『コナン』はホームズを尊敬し、ホームズを模するコンセプトで設定されえがかれているので当然なのだが、私はやはり金田一耕助のスタイル、その行動の方が心惹かれ、人間味を強く感じる。

マンガと比べること、それ自体ナンセンスであるかもしれない。
だが、これを承知で以前ある記事を書いたこともあった・・・。

 『根っからの風来坊、それが金田一耕助


けっしてマンガとバカにするつもりはないが、同じ土俵で比較することは横溝正史に、推理小説、文学というものに対して失礼かもしれないが、あくまで映像作品としての比較である。



結局は繰り返しになるのだが、

『真実はいつもひとつ。』

これが私はいつも違和感を感じる。

事実が真実とは限らない。これは『コナン』の中でもコナン自身が口にしている。
その通りである。
だが、真実も決して一つでは・・・・。

起こった出来事は一つである。殺人という事実は。
だが、その真実、その犯人も想い、つまり動機、その真意ははたして必ずしも、いつもひとつか・・・・・。


以前、記述した記事、

 『市川崑の金田一耕助 〜「金田一です。」(石坂浩二著) 天使のような風来坊2


の中でも記述しているが、


著書であり、市川作品で金田一を演じた石坂浩二氏は、

>人間はミラーボールのようだとの旨も記述している。つまりは、
  球体ゆえに、ある面には必ずその反対側の面がある。
それが人間、人の気持ちであると。つまりひとつの思いには表裏一体としてまったく反対の思いも存在する
はず だと。


そう、コレである。
私はこれに非常に共感する。

想いの程度の差はひょっとしたらあるかもしれない、しかし表裏一体するその相反する想いは共に、真意であり、真実なのである。
表裏一体であらば、表と裏は等しくなければならない。しかるにその感情はまったく等しくないかもしれない。
そこには、その表裏の差を等しく埋めるもの、それは迷いである。
迷いがその相反する想いを表裏一体で等しくする。それが人間の心理であろう。
つまり、決意の裏にも迷いがあるのである・・・。

若いころ麻薬に溺れ、放浪した、孤独な、根っからの風来坊は、この人間がミラーボールのごとく多面体である点を深く理解しているのである。


そう、市川金田一作品の全てには、その根底には全て“愛”があるのである。
金田一はその非情な殺人の奥にひそむ、人間の哀しく、恐ろしいまでの“愛”、それは深い想念や、恐ろしいまでの執念にも転じるが、根底には“愛”が、哀しく恐ろしいまでの“愛”が存在するのである。
金田一耕助はそれを見抜き、いや感じ取り、そこに共感する・・・・・。


そして原作は別として、市川金田一作品には、核となる“愛”、そらにはそれを取り巻く様々な“愛”が複数存在する。

市川監督自身次のように発言されている、

 >どの物語も親と子の願望と愛憎を、殺人の美学と交錯させながら展開しているのだが、そんな極彩色の世界に   金田一が飛び込む。彼のさわやかな孤独感と透明な客観性が映画のもう一つの主題になる。


 >原作は大長編ですが、絶対に面白い。親と子の願望と愛憎。それを幻想妖美、殺人の美学と交錯させていく。   この横溝さんの見事なつくりものを、どのようにして現代に通じさせるかが勝負


この憎しみや、欲望の奥底にある、その行動をとらせる大きな力、そこを見抜く力が必要である・・・・。

そして、作品自体、一般的におどろおどろしいものという認識をもたれる方がおおいようだが、決してそうではない。
この点も市川監督自身が過去に次ぎのように述べておられる。


>“「(横溝ミステリを)研究してみると、オカルト的なものがあるようにみえますが、むしろ、おどろおどろしいところな   どない。文体で(読者を)そんなふうに眩惑しているんですな。本質は論理の文学ですよ、大変現代的なわけです。
   ところが(会社は)オカルトをいれてくれという。だけど、原作にあるのは人間の物欲で、オカルトはない。


そう、おどろおどろしさというのは、いわばコケ脅し的な幻惑であって、その真には論理的な人間の思考、人間の業、いや欲や執念、怨念が存在する。

そして、市川版においては特に、それらの根源には“愛”があるのである。
もしくは根源に愛がある動機がからんでくる・・・。

それが見えない力になり・・・・。




“金田一作品はどうも・・・”と敬遠される方も多いが、私はとても悲しく、残念に思う。
そう、これは人間の愛と憎しみ、人間ドラマなのである。
そう、そこには“愛”が、満ちあふれているのである。

まあ、個人の好みなので強制するつもりは毛頭ないが、嫌うのもまずは鑑賞してから嫌って欲しいというのが本音である・・・・。

また、見た上で、嫌いになる方もいるであろう。
以前、ぽすれんの感想欄で以下のような内容を目にしたことがある。

>前作(オリジナル版;「犬神家の一族」)の時には大々的なキャンペーンを行って大きな話題になり見ましたが、「陰気」、「暗く」、日本映画はすべて「陰気で暗いもの」だというイメージを定着させてしまった映画だと思います。
前作を見て、私のように、「もう、日本映画は結構です」と感じ、日本映画から離れてしまった人も多かったように思います。

まあ、この方は好みや、感じ方以前の問題なのだが、でも私もね、ミュージカルは大嫌いだしね。
私には芝居の途中で唄いだすのがどうしても理解できずに、夢から醒めてしまうんですよ・・・・。

このことについての記事も書いた。

 『映画感想、人の感じ方。

人の感じ方はまさに様々。
私のこの方とは間逆で、「犬神家の一族」をみて、金田一に、横溝ミステリーにどっぶりはまってしまったのである・・・。
あの独特の雰囲気。そして金田一のするどい洞察力と推理力。
さらには、あのみえない力に動かされる様、その怨念の恐ろしさ(当初はまだ未熟な私は、怨念による呪縛だとおもっていたのです・・・)、非常に心にのこるセリフなど。
そして、とくにあのラスト

 『 「犬神家の一族」に見る金田一耕助の真実

あのラストにしびれてしまったのである・・・・・。

まあ、分かる人だけわかればいいのだけれど・・・・・。


それと、既に鑑賞している方も、機会があれば、今一度、セリフの一つ一つをよく噛みしめながら、鑑賞してみてください。非常に重要で、全体の流れを把握したあとに鑑賞するとその一つ一つのセリフに奥深いものを感じるはずです・・・。
そして、「犬神」などはその核とするところが明確に浮かび上がってきます・・・。




そして、この“愛”、私が一番すきな市川金田一作品の「悪魔の手毬唄」にはそれが作品中の満ち溢れている・・・。


  『市川崑の金田一耕助 「悪魔の手毬唄」 〜愛に満ち溢れた作品・・・。』


この作品、愛深き故に憎しみ深く、哀しみ深い。そしてある人物の20年来の想いが、“愛”が事件を解決させる発端となる・・・・・。


「コナン」で、コナンつまり、工藤新一は、人が人 を殺す理由なんて、理解はできても納得できないってという旨を発言している。そしてその想いのまま警察へと引き渡してしまう。動機の奥底をみない。そう、謎ときだけ、事件の全てではなく、その過程の事実の一部を動作の、行動の確定をしたにすぎないのである・・・・。
好きで全話みている私、コナンファンとしてあえて発言する。彼の場合そのスタイルが当然であり、その設定上は違和感なく作品としてはたのしめるが、やはり彼は青臭い・・・・。


いや金田一耕助も納得はしていないのかもしれない。
納得していないからこそ、犯人自身の想いに委ねるのかも・・・・。
そう、それが彼なりの犯行へのけじめのつけさせ方なのである・・・・・。


「犬神家の一族」で非常に心に残るセリフが2つある。

ひとつは中盤に古舘弁護士に金田一がいう、


『一連の殺人事件は。佐兵衛翁がやらせているような気がしてならないんですがねぇ・・・』


そして、もうひとつは終盤、松子婦人に、


『僕はこうおもうんです。貴方は佐兵衛翁の望んだことを貴方の手で実行してしまったんですね。』



彼は犬神佐兵衛翁の遺言状にこめた恐ろしいまでの想念を、そうその生涯でただ一人愛した女への想いを、その限りなく深い“愛”を悟り、その恐ろしいまでの大きなみえない力に、自身の意識よりも大きな見えない力に同突き動かされてしまった犯人に同情したのである・・・。


これは、金田一に関する記事を書き始めた頃、たしか2つめの記事にも同じ内容を記述したが、

 『市川崑の金田一耕助

厳密には私はある2つのシーンを混同していたようだ。
私は個人的な想いから「病院坂」の鑑賞回数がシリーズの中で一番少ない・・・。故に・・・。
この作品をみると全てが終わってしまうようで・・・・。

だが、どちらもとても印象的なシーンである。



最後(当時として)の市川金田一作品「病院坂の首縊りの家」に次ぎのような描写がある。
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古本屋で探し物をしていた金田一に、中井貴恵演じる叔父が小説家をしている知り合いの娘が声をこける。
そこへ金田一を手助けする青年、草刈正男が現れる。
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「もう事件には関わりたくないと思いながら、また新しい事件にズルズルと引き込まれていく、そんな探偵が出てくる叔父様の推理小説がありましたわ。」

「そんなのは探偵とはいいませんね。」

彼は静かに視線をはずし下をうつむき何も答えない・・・。

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また別の草刈正男と二人のシーン。

「恐ろしい犯人ですね」

すると、金田一耕助、彼は寂しい、哀しそうな表情でこう口をひらく。

「ええ・・・、可哀想ともいえます・・・。」

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「どうも金田一さんは、犯人に同情的なんですねぇ。
 いつもそうなんですか。」

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彼はその問いに、哀しい表情から、彼は小さな笑みをうかべて故郷の話から自身の過去を振り返る・・・。
そして、

「今度の事件の犯人も、僕たちに似た境遇の人間のような気がするんです・・・。」


このシーンが私はとても心につきささり、忘れられない・・・・。






市川監督は、金田一耕助を原作とは違う独自の“市川崑の金田一耕助”で描いている。

>扮装は全く同じにする。しかし原作にように有名人にはしない。年齢も不詳だ。だれもがこの雇った風采のあがら  ない男に事件が解決できるのかと思う。それが見事に犯人を挙げる。もちろん苦心惨憺するが。そして探偵料   (あまり高くない)と必要経費を受け取り、かすかな笑顔を残して何処となく去る。愛用の古びたトランクを提げ   て。

だが、原作にある彼のヒューマニズムはそのままにしてある。

 『 「悪魔の降誕祭」にみる金田一耕助の真実


やはり、私は彼に一般的な意味合いとは異なるかもしれないが、彼の思想に、行動にハードボイルドを強く感じる。
そう、つまりは優しさを・・・・。










“真実の娘が相続の対象にならないなんて、そんなもの遺言でも何でもないわっ。!”

“血縁でない娘が財産を持って行っちゃうわけ!”

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“あなたと竹子さん、梅子さんの姉妹は遺産相続人からはずされていた。
 そこで、あなたは自分の息子の佐清君を珠世さんと強引に結婚させ、遺産を独り占めしようとして殺人を決行した。
 しかし、あなた、その珠世さんが佐兵衛翁の本当のお孫さんだということをご存じですか。”

“僕はこう想うんです。
 あなたは、佐兵衛翁の望んだことをあなたの手で実行してしまったんですねぇ。”
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“しまったっ・・・・・、煙草だ・・・・・。”









“仁礼の旦那さん、いわんでつかぁさい、思い出すのも耐えられんのですけぇ、
 あの沼のことは・・・”
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“いっちゃいかん。”

“放して下さい、殺した奴の顔を見たいんだ。”

“磯川さん、歌名雄君の好きなようにしてあげたらどうでしょうか。”

“うそだぁ〜!!”

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“磯川さん、あなた、リカさん愛してらしたんですね・・・。”
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悪魔の手毬唄 OP

悪魔の手毬唄 ED









“喉がかわきましたなぁ、何か冷たいものでももってきましょか”

部屋を出て行く勝野に、金田一は振り向き、あわてて後を追うと立ち上がる。が、部屋の隅までいき、彼は立ち止まり、勝野の後ろ姿をじっと見つめている。そして目を下に向け哀しそうな顔をする。
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表面上の犯人は金田一耕助だけに遺書をあてた・・・・。

“・・・・金田一様お願いです。
どうぞ、あなたのご存じのことはみんなお忘れになってください・・・・。
全ては私のせいだということに。

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事件解決後、列車で編み物をする金田一を等々力警部がみつけ、声をかける。

“毛糸があめるのか。”

“すこし上手になりたいと思いまして。”

“神尾秀子もよく編んでおったな。”

“今度のことは僕の失敗でした・・・。”

“真犯人のことか。
 いや、君は間違ってなかったさ。”

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『奥様がみえませんね・・・・・・。』

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遠い坂の上から、自ら命を絶った奥方を乗せた人力車を彼は見つめている。
そして、やがて背を向け、冷たい風が吹き抜ける中、独り静かに消えてゆく・・・・・・。

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おどろおどろしいオカルト的な幻惑の中、その根底にある“愛”、これが全ての市川金田一作品の核である。
この金田一シリーズは、そこに、その核に辿り着く金田一耕助のするどい推理力と洞察力、そう深い奥底を解明するのが、そして犯人に対してとる金田一耕助の想いであり、行動が、この金田一の、横溝ミステリーの、市川金田一の最大のみどころであり魅力なのである。
そこに、その作品の核を、根底にある哀しき愛に気がつかなければ、市川金田一は楽しめない。
おどろおどろしい雰囲気、作風が好きではないや、
金田一が何もせず、殺人を食い止めず、犯人もつかまえない間抜けな探偵などとの感想をもっていしまう・・・。

そう、警察に引き渡すことが、法の裁きを受けさせることが道理、理屈、正論である。
しかし、映像作品としてみた場合に、それが探偵として果たして魅力的か・・・。
すべての場合ではないにしろ殺害の行動、経緯だけを解き明かせばいいのか、そうそれも名探偵であろう。
だが・・・・。
動機の真意、そしてその動機にいたる、そう事件全体の奥底にある深い闇を、真相を解明してこそ、名探偵。
そう、警察につきださずとも、殺害をくいとめずとも、人間の想いを理解し、血の臭いをかぎつけ、真相を解明してこそ人間として優しく、名探偵である。

そう、自分の推理があたった時の快感など彼にはないのである。当たらないで欲しいと願いつつも謎を解明せずにはいられない探偵としての性・・・・。
そう探偵は警察ではないのである・・・・・。

市川崑いわく、金田一耕助、彼は天使ではないだろうか。
天使はみているだけで、なにもしない・・・。


犯罪者は法の元に罪を償わせるべきだ・・・。
犯罪者に同情するなど、犯人をつかまえずに死なせてしまうなど無能な探偵であり、殺人者と一緒だ・・・。
優しさなどではなく、甘やかしだ・・・・、
こう思う方には理解できないであろう・・・・・。

彼のあの心の奥にある自身への問いかけと、迷い、そしてあのハードボイルドを・・・・。
そう、真のやさしさを・・・・。

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ここに私は映像作品として、映像作品の中の探偵として最大の魅力を感じる・・・・。





しかし、私は謎ときが大好きである。隠されたトリックを暴くのが・・・。
私が「コナン」を批判しつつも、結局は好きで全話みているのも、要は人間の多面体故かもしれない・・・・・。






※あらためてみると、速報版や予告編のできは・・・・。
 まあ、未見の方が鑑賞するきっかけになれば・・・・・。







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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
イエローストーンさん おはようございます。

コメントを送信したつもりになっておりましたが、送信していなかった様で 大変失礼申し上げました。^^;

稲垣版「悪魔の手毬唄」 私は泣けませんでした。

個人的な意見ですが、私はこの「悪魔の手毬唄」の原作は 評価の高い「犬神家の一族」よりも上の傑作だと確信しており、その理由が「泣けた事」

ゆえに、泣けなければ「悪魔の手毬唄」と認めるわけにはいきません。^^

ブタネコ
2009/01/14 08:55
ブタネコさん、こんばんは。

原作は、昔一度読んだはずが全く忘れており、一昨年読み返したのですが、市川版以上に衝撃でした。
市川版が頭にあっただけに、原作のリカの描き方が。

そしてやはり哀しみがこみ上げてきました。
私が強く心に感じたのは、“哀しき悪魔”ということです。

そして当然、泣けました。

う〜ん、おっしゃるとおり、その辺りを感じないと、つまり泣けないと、「悪魔の手毬唄」ではないのですね。
イエローストーン
2009/01/14 22:29

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