取手物語〜取手より愛をこめて

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zoom RSS 稲垣版「犬神家の一族」・・・、核なき筋違いの脚本に失望感・・・。 (再追記)

<<   作成日時 : 2009/03/08 16:21   >>

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友人に借りて、稲垣版「犬神家の一族」を再見した。

再見といっても、本筋はほとんど憶えていない。
冒頭の金田一のアメリカでのエピソード、あれを描いた点は非常におもしろいと、そして横溝正史を登場させ、金田一の探偵譚を記述するという原作にもある形式をとったのはとても興味をひいた。
しかし、やはり稲垣金田一に違和感があり、肝心の犬神家のスト−リ−には完全に入り込めず、よく憶えていなかった。

あらためて鑑賞して、まず私は市川版へのリスペクトがあるのではと感じられた。
そしてテレビにしてはキャストもまあまあいいのだが、脚本がいけない。

核が・・・・。

私が原作を読んで強く感じた核がまったくない、描かれていない・・・。

もちろん、映像化する場合に全てが原作通りでなくてはならないわけではない。
どの程度ベースにするかは、その映像作品による。
独自の解釈、独自の核にし、物語を展開させ本を書くこともいいであろう。
作品によっては犯人をかえたりする場合もある。
また、シャクの関係もあり当然全てはえがけない。
だが、この稲垣版はあくまでも原作に忠実に映像化している。
その場合に、いくらシャクがあろうとも核を違えてはいけない・・・。



つまり横溝作品の本質が存在しない。
おどろおどろしさは、幻惑なのである。
そう、見立て、斧・琴・菊はこけおどしなのである。

映像的にそれをフィーチャー するのはいい、だが本はそうであってはいけない。

つまりこの犬神家の三種の家宝の呪いの話になってしまっている、この稲垣版は・・・・。

三種の家宝の呪い、それは青沼菊乃の怨念である。
最後、松子婦人が佐兵衛翁の幻覚をみる。そこでその佐兵衛は、「斧・琴・菊の怨念をはたした」というような旨の発言をする。
そう、五十を過ぎて愛した女、女工の青沼菊乃の怨念が佐兵衛の望みになってしまっている。

そして遺言状に関しても、血まみれの怨念がこもったものとの表現をし、金田一までがそう感じてしまっている描写になっている。

もちろん、原作でもこの点の記述はある。

>>(佐兵衛)翁はおのれ百年ののち、松子、竹子、梅子の三人のあいだに血で血を洗うような葛藤の、おこることをのぞんでわざとあのような怪奇な遺言状をつくったのではなかろうか

だが、それは真の目的を果たす為、さらには真の目的が果たせなかった場合の為なのである・・・・。
見えない力が、佐兵衛翁がやらせたかったことの真の目的が・・・。
それは青沼菊乃の怨念では決してない・・・・・。

最後の謎解きのシーンで金田一は次のように発言する、
『青沼菊乃の、斧・琴・菊の怨念は、佐兵衛翁の遺言状によってその舞台が用意され・・・・・。』

核があるようで、別の核がしっかりあるようで、実は全体の整合性が・・・・。
何故、佐兵衛翁はこれほどこだわったのか、何故三人娘には一銭もやらないのか、何を遺言状にこめたのか、菊乃の怨念をこめたのだとしたら、何故静馬ではなく珠世が第一の相続者になっているのか・・・。
辻褄が・・・・・・・・・。

全く話しにならない・・・・。



三種の家宝の、菊乃の怨念でもいい。そう、松子婦人がそうおもいこんで死んでいくのはそれでもいい。
市川版のオリジナルでも最期に松子婦人は、

『佐清、珠世さんを父の怨念からといておやり・・・』

といって息をひきとる。

だが、市川版ではリメイクでそこは監督はきちんと描きなおしている。
そして、オリジナルでも、松子は読み切れなかっただけで、そう、佐兵衛のあまりに深いその想いを、生涯で愛した女へのその想念をよみきれなかっただけで、実は気がついているのである。

父が望んだことは何だったのか。

それが、あの市川版オリジナルで高峰演じる松子があの金田一の言葉をきいて取り乱すあのシーンなのである。

金田一;『あなた、その珠世さんが佐兵衛翁の本当のお孫さんだということをご存じですか。』

     
松子; 『えっ・・・・』


金田一;『珠世さんのお母さんの祝子さんは、佐兵衛翁と野々宮春世さんの間にできた子供だったんです。』

     『僕はこう思うんです。
      あなたは、佐兵衛翁の望んだことをあなたの手で実行してしまったんですね・・・』


松子; 『珠世が野々宮家の孫じゃなかっただなんて・・・・、そんな、そんな・・・・』

ここで、松子はひどく取り乱す・・・・。

そう、松子はここで、佐兵衛翁は自分達に対する怨念であのような遺言状をかかせたのではないと、いや、怨念もあったであろう、だが、それが全てではなかったのだと、それが第一ではなかったのだとそう悟ったのである・・・。





この稲垣版では、松子の思い違いではない描き方である。

そう、鑑賞者にもその怨念であると描いてしまっている。

金田一が松子に珠世の素性を明かさない。

金田一が那須神社で発見したこの事実、あの金田一が驚愕し、古館に話したあのシ−ン、あの驚きが空回りしてしまう。

つまり、珠世に要は犬神を継がせたい、それは野々宮春世の孫だから、それを明かせないのである。
この本では。
そう、菊乃の怨念が原因であると描いている故に・・・。



百歩譲って、三種の家宝の、そう、青沼菊乃の呪いでもいい、そしてその呪いが佐兵衛の望んだことだったでもいい。だが、その場合、菊乃がただの女工ではこの話はなりたたないのである。


市川版でも菊乃の素性は明かされない。いや、その設定を必要としなかったのである。
春世への一途な愛故に、他の女性には歪んだ愛情しかもてなかった、その欲望のために踏みつぶされていった人間達はすくなくないと描いている。菊乃もそのうちの一人として描いている。
つまり、その設定なしに、私が何度も記事にて記述している金田一のふたつのセリフでその佐兵衛翁の真の愛を、壮大なまでに深いその想念を、真の願い、想いを描いているのである。

だが、原作ではきちんと素性が、書かれている。
そう、青沼菊乃は、佐兵衛がその生涯でただ一人、本当に愛した女、野々宮春世のいとこの子、そう春世のこの世でのただひとりの生き残っていた血縁なのであった・・・・。


ただのどこの馬の骨ともわからない女工を愛したのでは、この話は、佐兵衛の想いも、怨念もなりたたないのである。
そう、この三種の家宝の呪いとする場合には、この事実を、青沼菊乃が誰であるのかをきちんと描かないと・・・・・。
稲垣版では、菊乃は、ただの女工のままである・・・・。


佐兵衛には、春世の血を犬神家にいれる、その血を正当な犬神の後継者にするのが一番の目的であり、真の思いであった。だが、当然怨念もあった。

そう、本当に愛した、その生涯でただ一人あいした女、野々宮春世の子供、それが祝子だが、佐兵衛はこの祝子を我が子と呼ぶことはできなかった。
しかも、犬神家が繁栄していくにもかかわらず祝子はいつまでたっても貧しい那須神社の神官の娘・・・。
それに引き替え、ただの性欲のはけ口であった三人の妾の娘は犬神の家で裕福に暮らしている。
この不公平さが故に佐兵衛は三姉妹を愛することができなかった・・・。
これは原作に記述してあることである。


つまり、この佐兵衛翁が本当に愛した女、野々宮春世との関係をきちんと描かないと、この「犬神家の一族」という原作をきちんと映像化はできないのである。

そう、ただのこけおどしがメインになってしまっては、この話は台無しなのである・・・。
そう青沼親子の復讐の話になってしまう。
これは話的にも松子婦人の殺人の事後処理で、静馬による三種の家宝への自身の恨みへのこじつけの演出なのである。
それでは話の展開的にも、心の動き的にも、つまり表裏ともに、まさにオカルト的幻惑にまどわさるただけ・・・・。

この稲垣版は、その見立てが、おどろおどろしさの幻惑をメインにしてしまったのである。
そう、冒頭でも記述した謎解きでの金田一のこのセリフ、

『青沼菊乃の斧・琴・菊の呪いは、息子である静馬に引き継がれ、犬神佐兵衛の遺言によってその舞台が用意された。そしてそれは皮肉にも松子婦人によって演じられ、最後に静馬自身の肉体をもって完成されることになったのです。
  斧・琴・菊・・・・。』

斧・琴・菊の三種の呪い、つまり菊乃の呪いが、見立て連続殺人が正にメインで、それが遺言状によって、そう佐兵衛のみえない力によって松子により実行され、結局は静馬が・・・。
一見、明確な核があり、筋がしっかりとおっているようで、まるで筋違いの話になってしまっている。
菊乃の怨念と珠世への第一相続は全く関連しない・・・。
まったくデタラメな本になってしまっている・・・・。


ただ、松子の最期、原作にある妹達への罪ほろぼしともいえる珠世への願いを描いた点は、個人的にはいいと思うが・・・。
あれは、妹達への姉としての思い、贖罪の念と犬神佐兵衛の長女としての意地、父への唯一の抵抗ともとれる・・・。


また、市川版では明確には描かれてはいないが、佐兵衛翁にはある確信があった。
これは原作には記述されている。

>佐兵衛翁は珠世が気にいっていたので懐中時計を譲った。そして、男ものだから大人になってからは持つことができないよ。しかし、そうだ、おまえのお婿さんになる人にあげればよいと言う。そして、珠世はそれを大事にしながらも何分子供ゆえ故障させてしまうことがしばしばあった。そんなときいつも手先が器用な佐清が修理してくれたのである。そしてその時のエピソード。

>(この)エピソードのあったのは、おそらく珠世がセーラー服の小学生、佐清が金ボタンの中学生の時分のことであろう。その自分、雛のように美しい、この一対のあいだに、どういう感情が交流していたことだろうか。そしてまた、このふたりを見る佐兵衛翁の胸中には、いったいどのような構想がやどったことか。


そう佐兵衛翁は珠世、佐清のふたりの思いを当然しっていたのである。
映像では、それぞれの感情からその思いは鑑賞者には当然わかるが、話の中で佐兵衛翁も当然知っていたのである。珠世に選択権をあたえたものの、要は誰を選ぶかは。

そして、佐兵衛翁の本来は生真面目な性格などを強くその血を受け継いだ佐清。そのことも当然わかっていたし、何よりも珠世の佐清を思う気持ち、愛。
その深さを当然ながら佐兵衛翁は知っており、その愛の深さに、その強さに、自分の野々宮春世への深い想いをかさねたのであろう。

このあたりの確信を描くことも映像化する場合には有効であると感じる。

とにかく、どうのような描写であれ、この佐兵衛翁の遺言状にこめた真の想い、深い想念を描く必要があるのである。
そしてそれは決して菊乃の怨念なんかではないのである。



あと、やはり、金田一があの煙草に実は気がついて・・・・、これは原作のいいまわしからもそうとれ、原作にある様々な作品にみられる彼のヒュ−マニズムから当然の行動であり、原作を愛し、読み込んでいる市川監督もそう感じたから、そう読み取れたからオリジナルでああ描いたのである。

そう、それが私の感じるところのハードボイルド・・・。

これがないと、やはり金田一耕助という名探偵にはならない・・・・。
彼の魅力が・・・。




なかなかいい線をついてはいるのだが、つまりそれは画的にはきらいではないのだが、肝心の本が・・・・、核がない・・・。
ということは、まるでダメ・・・・・・・。

そう、見立て連続殺人という物語の表面的な演出、形式と構図だけを大事にしてしまい、話が、核が存在しておらず、ただの女工の恨みの話になってしまっている。
すると何故その女工にそれほどまでに佐兵衛が・・・。
その佐兵衛の思いとの、何故それまでの怨念かという部分での一番重要であるべき部分が、まるで整合がなく、真にえがくべき筋がなりたっていない・・・。


物語の冒頭、犬神家の広間での佐兵衛の臨終のシ−ンで、何故佐兵衛翁が珠世を見つめるのか、遺言状の内容から当たり前だが、そうではないのである。何故、あの遺言状の内容なのか、それが描かれていない・・・。

そう、意味のないシ−ンになってしまっている・・・・。


佐兵衛翁にあの内容を書かせた真の理由は?それがこの物語の核なのである。
何故、珠世なのか、そして次がなぜ佐清・佐竹・佐知の三人ではなく、青沼静馬なのか。
さらには何故三人娘には一銭もやらず互いの憎しみあいをのこしたのか・・・。
それが・・・・。



残念であり、失望してしまった・・・・・。








犬神佐兵衛翁、遺言状にこめた真実の愛 〜「犬神家の一族」






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