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zoom RSS 裁判員裁判  判決にはそれだけの自信と責任を・・・

<<   作成日時 : 2009/08/08 21:58   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

裁判員裁判がひらかれ、その裁判員に選ばれた方達が会見をしていた。

私はそのうちのひとりの方の会見をテレビでみたところ、

“判決には自信がないというか、自身で疑問もあるが、選ばれた方は是非参加してほしい。”

というような旨の発言をされていた・・・・。


私はこの会見を聴いて怒りを感じた。

判決に疑問?!

それは被告人に大変失礼である。

その人間の人生を左右する決断である。
初の裁判員で、その責任の重さや自己の中の人を裁くという事に対しての疑問と不安、自身がこのような決断をしていいのか等に迷いは理解できる。当然あったであろう。なくてはおかしい。

だが、その下した判決に対して迷いがあったと公の場で発言することは被告人に対して失礼である。

異論もおおくあろうが、私はこういう性格に人間である。

そのテレビをみて私は思わずこうつぶやいた。

“判決に疑問?、 それは被告人に対して失礼だ。それは絶対に口にしてはいけない。

  こんなバカが裁判員をやっているのか”

と・・・・・。


異論もあるかもしれない。
自身はその立場にないから気楽なことを言っているのだといわれるかもしれない。

そうではない。


自身が下す判決に自身と確信をもてない人間は裁判員を辞退すべきである。



私は、正当防衛をのぞいて、基本的には、自己利益の為だけに人を殺めた場合には、
その責任は、つまりはその罪は、死をもってしか償えないと確信している人間である。

殺人は、死をもってしか償えない。

犯罪者の権利や将来?
更生するかもしれない。そのチャンスを与えるべきだ?


じゃあ、命をうばわれた人の権利は?
その人の未来は?
殺された人は、人生を決してやり直せないのである。
それを殺した人間だけがやり直すことを許される?
その殺した人間の行為によってのみになのに?

殺された人間はもうこの世にはもどれないのである・・・・。

私には、殺人者の更生の機会ということが理解出来ない・・・・・。

それを過激な思想だということも私には絶対に理解できない・・・・。

死刑は絶対に必要な刑である。


人権問題?
糞食らえ!!

上記の繰り返し!

“じゃ、殺された人間の権利は?

  のこされた遺族の思いは!?”




死刑が人権問題にあたるや、非人間的な行為であるなどとのたまっている輩は、
テレビなどでえらそうにほえている奴は、バカでしかない。

(当然ながら、冤罪は論外である。その疑いがわずかでもある件にかんしては執行はみあわせるべきであるが)

この思想は絶対に否定させない。
自身の子供が、親が、恋人がある日突然、第三者にそいつの利益の為だけに殺されたら・・・・。

殺人者の責任とは、償いとは・・・・。

人を殺めて、更正の道・・・・、それはやってはならない最大級の一線をこえた非人道的行為なのである・・・。
その責任も、当然重いものでなくてもならない。

不幸の連鎖などきれいごとである。
死刑は、殺人という行為がある限り、決してなくしてはならいないものである。

(今私がいっているのは単純に自己利益や欲望の為に殺人を犯した愚か者についてである。もちろん非常時や戦闘状態においてではなく、一般的な殺人という意味)



ちょっと話が脱線したが、私は自身のいかなる決断も後悔したことはない。当然、その決断にいたるまでは迷い、悩み、苦悩する時もある。だが、
心の中ではそうおもっていても、それは絶対に口にはしない。

それは自己を否定することになるから・・・。




裁判員は、自身の決断に絶対の自信を持ってその判断をくだすべきである。
迷いが生じたら、そく辞退すべきである。

人を裁くとは、そういうことではないのだろうか。
でなければ、被告人に失礼である。


極端な思想はそれこそ危険であるので、私は選ばれないかもしれないが、自身の中の良心と常識に責任をもち、判断し、それを確信する決意が必要であると私は思う。


異論、反論もあるかもしらないが、私にはそれは通じない。

人を裁く以上、その人間は、その判断に絶対の責任と自信をもたなくてはならない。
たとえそれが間違った判断であろうとも、

“迷いがある”

などとの発言する人間に裁いてはほしくない。
私が被告人の立場ならそう思う。

仮に、

仮にだが、私が被告人の立場で、たとえ冤罪であろうとも、その判決には自信があるといってもらった方が納得できる。当然、冤罪は納得できないが・・・。ふっ、矛盾。
それを、疑問がある判決だが・・、などと言われたらそれこそ、納得できず、無礼だと思わずにはいられない。

こんな奴に裁かれるのかと・・・・。

つまり冤罪を生まないためにも、疑問があっては決してならないのである。







異論・反論もあろうが、人の考えはさまざま。
私のこの思いは、私の中で絶対であり、誰にも否定はさせない。


もちろん、その判決の課程での苦悩を口にされたのだろうが、不注意な発言である。


人を裁く人間は、心の迷いがあろうとも、疑問を口にしては絶対にいけない。
そして、判決を下す時点では、その決断に絶対の自信と責任をもたなくては、いや、持てないのなら判決を下しては絶対にならない。

人をさばくとは、そういうことである。



私はそう思う・・・・・。

いや、そう信じて疑わない。



故に、あの裁判員の会見は、私は怒り心頭に発し、我慢ができなかった・・・・・。


どんな理屈や、その心情を説明されようが、ナンセンス。
人を裁く人間が、自身の中での心の葛藤・迷いは当然あろう、だが、それを公の場で“迷いが、疑問が”
などと発言することは自己保身、自己正当の責任逃れであり、卑怯な行為である。

“苦心しましたが、自身では的確な判決であると確信しています。”

こう発言するのが被告人に対しての、裁判員としての責任ではないだろうか。




なかには異論・反論もあるのかもしれないが、私はそれは到底理解できるものではなく、その手の意見には対応するつもりは、まったくもってありません。

見解の相違。
仮にコメントいただいても即削除いたします。
議論の余地なし!





それほど、私の怒りは深い・・・・・。








※また、昨夜酔って記事を書いてしまった・・・・。

 だが、これが私の本音。

 全ての決断に後悔したことがない?ふっ・・・・・。

 とにかく、
 
 消さずに残します。









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