取手物語〜取手より愛をこめて

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zoom RSS 終着駅・・・

<<   作成日時 : 2009/12/13 10:03   >>

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“生きる”ことと“死なない”ということは違う。

厳密には、“死なせない”。


これは「振り返れば奴がいる」で、織田裕二演じる司馬がはく台詞である。



人間とは、意志があってこそ、意識があってこそ人間である。
植物状態は人間ではない。


管につながれ機械によって無理矢理に生かされ、いや死にきれずに息だけをしている。
たとえ自発呼吸をしていても、意識がなければ一緒である。


奇跡はおこるかもしれない。
一時間後に目をさますかもしれない。だが、何十年後かもしれない。
その間、意識もなくずっと生かされ続ける、またはただ息だけし続ける。

これが延命か。
いや違う、これは延命ではなく遅らせる死。それも無理に。
そう遅死である。




あなた自身に置き換えてみてください。

愛する人と、家族と、友人達と、何らかの手段でコミュニケーションもとれず、機械の力で無理矢理に生かされ続ける。または自発呼吸でもいい、ただ息をして、眠り続ける。

十分後に目が覚めるかもしれないが、それは何十年もつづかもしれないし、そのまま目をさまさないかもしれない。

そんな状態で自身、息をしつづけたいですか?

家族はなんとか奇跡を願い、懇願するかもしれない。
だが、
そんな状態で、家族や周囲の人間に心配と苦労をかけ続けたいですか?
待たせ続けたいですか?




私はそんなことはできないし、望まない。




人間としての終着駅がみえた時、人間はその終着駅に向かい、静かにそのプラットホームに足をおろさなければいけない。
医師はその終着駅へ静かに導き、おだやかに到着させなければいけない。
周囲の人間はその終着駅への到着を静かに見送り、そして哀しみの中、送り届けなくてはいけない。


それが人間として生きること。

人間としての行為。

決して殺人などということではない。
この場合の死、終着駅とは、
人間として最期まで生き抜くことなのである。


これが真の医療、治療である。


この終着駅への到着を邪魔することは罪である。




私はそう、そう信じてうたがわない。











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