取手物語〜取手より愛をこめて

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zoom RSS 青沼菊乃の素性・・・・ 市川版「犬神家の一族」(1976年)

<<   作成日時 : 2012/02/25 17:55   >>

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「犬神家の一族」の映像作品にて、その最高峰は1976年の市川版である。


佐兵衛翁の至上の愛を、遺言状にこめた真実の愛を、そして佐兵衛翁の想念を、そして怨念を非常にうまく、金田一耕助を引き立て、うまく映像化している。そして、あのラスト、あのヒューマニズム。金田一耕助の魅力も満載。
つまりはそれだけ市川監督が原作を愛し、理解しているゆえである。


だが、核である佐兵衛翁の野々宮春世への至上の愛、それを想ったときにひとつだけ技疑問がわく。

何故、市川監督は青沼菊乃の素性をあかさなかったのか。その描写をいれなかったのか。

市川版、特にオリジナルの「犬神家の一族」を私は何度も鑑賞している。今も鑑賞したばかりだが、当初、私は佐兵衛翁のそのあまりにも壮大な想念、つまり春世へ深い、深すぎる愛、至上の愛に気づかなかった。そう、私は原作ではなくこの市川版で金田一、そして横溝ファンになったのである。
それはこの青沼菊乃の存在にあった。

珠世への第一相続を遺言状にこめておきながら、過去に一度、三種の家宝を菊乃に渡してしまう。そして、それが何故か。その理由が、あかされない。菊乃が犬神の工場の女工としてしか描かれていない。その素性があかされない・・・・。

私なりの解釈はしたものの、私は疑問であった。
佐兵衛翁の至上の愛、これを表現し、鑑賞者に理解させる為には、菊乃の素性は必要であると。何故・・・・。



だが、菊乃の素性をあかさないこと、ただの女工という描き方ながらも核はしっかりとしている。佐兵衛翁の至上の愛、遺言状にこめた真実の愛はきちんと描かれている。テレビの稲垣版のように筋違いの三種の家宝の怨念の話になど決してなってはいない。
それもきちんと、金田一耕助を名探偵として描きつつそれを、至上の愛を、核をより明確に、オカルト的に表現している。
そう、見えない力である。


ここで、かつての市川崑のことば。
>“「(横溝ミステリを)研究してみると、オカルト的なものがあるようにみえますが、むしろ、おどろおどろしいところなどない。文体で(読者を)そんなふうに眩惑しているんですな。本質は論理の文学ですよ、大変現代的なわけです。
ところが(会社は)オカルトをいれてくれという。だけど、原作にあるのは人間の物欲で、オカルトはない。


この製作側の要望にこたえたのでは。

つまり、至上の愛、それは佐兵衛翁の想念なのだが、オリジナルでは違う面を強く描いた。
怨念である。

これは台詞からもわかる。

映画オリジナルである松子未亡人の最期の言葉。

オリジナルは、

「佐清、珠世さんを父の怨念から解いておやり。」

リメイクでは、

「佐清、珠世さんを父の想念から解いておやり。」



春世への至上の愛ゆえに、佐兵衛は悩み苦しみ、その鬱積した感情は歪んだ感情を産み、そしてその鬱積をはらすために、ありとあらゆるものを食い尽くしていった。
金、女、権力、事業の拡大、そして闇の一面。
市川版では犬神佐兵衛の事業、会社を製糸会社ではなく、製薬会社とし、裏で麻薬に手をだし、戦争の度に会社が拡大してゆくという裏の面も描いている。それも歪んだ感情ゆえの成果だとしている。
至上の愛ゆえ、自身の妾、娘には大きな怨念を抱き、鬱積した感情をはらす為に、事業に力をいれ、あらゆるものを食い尽くし、多くのものを犠牲にしてきた。青沼親子もその犠牲者のひとりだと・・・・。

娘たちへの怨念ゆえに、怨念の対象でしかない一族に嫌気がさし、50を過ぎて癒しをもとめたのでは。そして、春世の血を犬神に入れられないと思った当時、怨念強きゆえにアカの他人である女工に相続をゆずろうとしてしまった。

つまり、怨念というもの、その大きさを強く描きたかったのではないだろうか。

実際に、私も最初のうちは、このオリジナル、佐兵衛翁の怨念だと理解していた。



松子未亡人を動かす、見えない力。

“何かをするとき、私は私でなくなる。”

怨念にとりつかれた三姉妹。
怨念、それは至上の愛から転じたものだが、佐兵衛翁の想念をかなえる為に、怨念により動かされたしまった。

あまりに大きな怨念。
珠世が佐兵衛翁の真の孫だとわかった後でも、松子未亡人は自身へのあまりに大きな怨念ゆえにそう残していった・・・・。

いわば勘違いであるが、私はこの台詞だけはリメイクのがいいと想うが、決して嫌いではない。

怨念というものを強く表現したかったゆえに、そしてあの独自の金田一の台詞があったゆえに、市川版では、菊乃の素性をあかす必要がないとしたのであろう。




おどろおどろしさとは、オカルト的要素とは・・・・・。

至上の愛ゆえの狂気。
いや、狂気ともいえる至上の愛。
それが、あの遺言状。

佐兵衛翁は、あの遺言状に真実の愛をこめた。

それは想念なのだが、同時に怨念でもあった。

正確には想念の一部として怨念が存在するのだが、オリジナルでは、会社の要望もあり、怨念と想念をこめた描き方にしたのであろう。












一昨日、市川版の「犬神家の一族」のリメイクを何度目であろうか再見し、昨日、「犬神家の一族」を再々読した。
そしてこれから市川版の「犬神家の一族」オリジナルをそれこそ、何度目であろう、再見するつもりである。

やはり私の中では石坂浩二をこえる金田一耕助はいないであろうし、市川+石坂版をこえる金田一の映像作品は今後もでないであろう・・・。






「犬神」のリメイクこれはまあ・・・。


そして、「八つ墓村」は・・・・・・。
これは市川崑が会社から当時絶頂のトヨエツでどうしてもといわれつくったのであろう。
「犬神」のリメイクの際、市川監督は金田一は石坂浩二でなくては引き受けないと断固ゆずらなかった。
ちなみに逆にプロデューサーからは、珠世は絶対に松嶋菜々子でと引かなかったそうである。

これはかつて記述したように金田一はともかく、稲垣版が映画、テレビを含め映像作品の最高峰である。



これはある映画評論家がいっていたが、

市川崑は奥さんであり、脚本家であった和田夏十女史、彼女を失ってから作品が迷走している。

「八つ墓村」、これは正に私はそれだと想う・・・・。




市川+石坂版 金田一耕助

「犬神家の一族」・「悪魔の手毬歌」・「獄門島」・「女王蜂」・「病院坂の首縊りの家」の五作品。
私の中で、これを超える映像作品はなかなかあらわれないであろう・・・・。

というか、
いかに優れた脚本でも、キャストを考えると絶対に抜けないでしょう。
脇を含め、今の役者陣では・・・・。


最近でいえば、稲垣版。
「犬神」は話になりませんが、先述の通り「八つ墓村」はとてもいい。
そして、「悪魔が来たり笛が吹く」もなかなかいいできである。

「女王蜂」も原作のイメージ、早苗のイメージそして、その舞台となる場所などは原作通りに描き、なかなか見られる作品にはなっている。原作からすれば、市川版よりもはるかに忠実である。


「悪魔の手毬歌」は・・・・・・・、
リカの配役そして、磯川警部の不在。
全く話にならない・・・・・。










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