取手物語〜取手より愛をこめて

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zoom RSS ラーメンを高額にしたこだわりと言う名の重罪 

<<   作成日時 : 2012/03/09 11:47   >>

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ラーメンとは、いつしか一部の人種のものになった。

ラーメン通、ラーメン好き、そういう連中のものと。



一般人は、所詮B級グルメにしかすぎないラーメンに500円以上もだしたくはないのである。


並んでまでラーメンなんそ別に食いたくないのである。


ラーメンが食いたくて店に行っても、並んでいたならすぐさま別のものにする。
値段が500円以上なら、そばか牛丼でも食ったほうがマシである。






通なるこだわる一部の連中が、己のこだわりを求めてみずから店を出し、その自身のこだわり、つまりは労力だが、それに高い代価をつけ、勝手に価値を高め、それは己の欲だが、そして、また同じような一部の通なる連中がそのこだわりに惚れてかようから成り立つ異常な商売である。

労力の代価、つまりは欲でしかない。


そうでなければ、必要以上に儲ける必要はない。

そのこだわりの味、自慢の味をひろめたいのなら、自身の労力に代価を求めないはずである。

一般に食べてもらいたいとの純粋な想いなら、必要以上に設ける必要はない。つまりあくまでも原価対比。

値段にまで、こだわりがはいり、一般への普及など頭に入れていないのである。





私は、ラーメンに500円以上はだしたくない。



なぜなら、所詮、ラーメンだから。






いくら、美味くても、高ければそうれは相殺されてしまう。

高くて美味いラーメンなぞは、もはやラーメンではないのである。






私は、ずば抜けてうまくなくても、そこそこ食べれて安いラーメンのが価値がある。



一部の連中を相手にするものは所詮、エサでしかない。



今の500円以上する、ラーメンといわれているものは単なる一部の連中のエサでしかないのである。



万人に広めたければ、値段を普通に、500円にすべきである。
500円だって・・・・・




ラーメン、B級であるラーメンの第一条件はまず値段。
味がよくても、500円以上もする値段では到底相殺され満足はできない。


いやなら、こだわりなどやめてしまえばいい。所詮、ラーメン。
安く、美味く、提供できることが真の努力である。



安くて美味い、それがラーメン。

高くても美味いではラーメンではない。






まあ、それでも好きな連中は食べにいくんだよね、分かってねーなーと言いながら。



分かりたくもない。

高いラーメンなんぞ。



ホットももっとの幕の内弁当の松より、ラーメンが高いなんて到底あり得ない。




こだわりと価値観の共有による満足、それによる法外な利益と対価。

彼らには、もはやラーメンではないのである。


その段階で、一部の連中のエサとなりさがった・・・・・・

万人に受け入れられない大衆料理など、エサでしかない。


高級なサービスや待遇、その雰囲気と優雅な時間を過ごす高級料理とは違う。

大衆料理で対原価で法外な値段など論外なのである。






安くて美味しい、我々大衆のラーメンが・・・・・・




いつしか、値段を無視して味の追求に走った、そのこだわりと言うなの異常と欲。
そのあくなき欲が、自身への甘えとなり高額な対価に表れた。

自身のこだわりに陶酔し、二つのうち一つを無視した。

味と値段の両方を追求すべきなのに・・・・・・・。

常に値段へは貧欲であまえてばかりいる。この連中は・・・・・・・。


そのカタワともいえる勘違いのこだわりが、ラーメンを崩壊させた重罪なのである。




味の前に、まず安くなくてはラーメンではないのである。




還元しない強欲と自惚れがその陶酔という甘え、魔力のたまもの、いわば罪悪である。

大衆から、“ラーメン”を奪った。



いまも、かもめ食堂なるラーメンが一杯900円という異常な値段であることを堂々とテレビ放映している。
これは博物館だからか・・・・・。
これも、
東北支援で義援金が半分をしめているとあきらめるしかないのか・・・・・・。
本当に被災者の方の為に使われるならかまわないが、こだわりという大罪の代価なら許されない。



単なる便乗値上げはさらに許されない。








ラーメンとは安くなくてはならない。

弁当よりも高い値段のラーメンなどこの世にあってはならない。










さあ、幸楽苑に、“ラーメン”を食べに行こう。
















結局、お互いに何を言っても無駄なんでけどね。

はまってる奴と、一般の冷静な奴。


ラーメンなんて、幸楽苑やカップヌードルで十分という奴とのぼせている奴が歩み寄れる訳がない。







ある意味、そののぼせが熱意という名のこだわりとなり、一般人からは到底理解できないだよね〜。







ガキの頃、近所で200円で食ってたんだからラーメンなんて。

その当時、200円だったものが、800円〜1000円しているものなんて他にはない。




まあ、物心ついた時には、もう今の値段だった連中にはこの上ない不幸でしかない・・・・・・。
わからないもんね。

本当の値段が。

それが、今、本当の値段とされてしまっているから・・・・・・





理解できないでしょう。
生まれた時には、もう高くなっていたから、それが普通でしかない・・・・・




ある意味、幸せなんだね、ハナから疑問におもわないから・・・・・。








ゆえに、絶対に互いに平行でしかない。





つまり、誰も要は追求していなんだよね。真のラーメンを。

本当にうまくて、安いラーメン。その努力を誰もしていないのが、今の現状。


所詮、鳥かごのエサ商売。







安くて、美味いラーメンが次々に出店された時に、本当のラーメン屋が競い合う時代になる。

大衆のラーメンが復活するときと・・・・・・



味と値段、その両方を追求することこそが真のラーメン屋なのである。



それ以外は認められない。





今のラーメンとはこだわりという名の堕落と甘えの産物、守銭奴が作り出す万人にはうけいれられない一部の輩の高額なるエサでしかない。

何故、堕落か、

何故、甘えか。


こだわりの味のみを追求し、値段の追求をしない素人だからである。

プロなら、味の追求と同様に、そのこだわりと同様に値段にも貪欲でなければならない。

その欠落が甘えであり、素人であり、所詮は一部の同様の価値観の人間同士でしか成り立たない甘えと堕落のエサ商売なのである。


大衆料理とは、ラーメンとは万人に愛されなければならない。

それがラーメンなのである。










言うのは簡単。だから。

もちろん、私は何の迷いもなく腹がへったらカップヌードルを食う。安くて美味いから。
何か・・・・・・。















































ハハハ。



でも、これは本当だが、私は魚介系のラーメンは食えないな〜。

魚臭くて・・・・・。


以前、有名店で睨まれたことがある。店員と周囲の客に。

つい、こう叫んでしまって。


“魚くせえ〜。”





もちろん、相方とともに店をあとにした。全部残して。












飲んだ後に、車で山岡家に行っていた頃が懐かしい。

当時は、あそこにしかなかったからね、牛久にしか・・・・・。

柏で飲んだあとでも、朝方必ず牛久にいた・・・・・。



もちろん、私はねぎ味噌チャーシューの中盛りで。


中毒状態で、ひとりでもよく行った・・・・・・

無性に食べたくなるんだよね。これこそが真の罪だね・・・・・・。











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