「犬神家の一族」に見る金田一耕助の真実
「犬神家の一族」を先日、何年かぶりに見直した。
何回目だったろうか。20回以上は確実に鑑賞している。
そして以前からの疑問がまた思いだされた。
それは、最後の真相解明のシーン。
あの「しまった!」である。
最初に「犬神」をみたのは何年前だろう・・・思い出せない。
が、最初に鑑賞したときに、まだ子供ながら、金田一耕助は松子婦人を自らの手で裁きをさせたとすぐに感じた。
それから、何度かみてそして十回目位からは主要なひとりの登場人物だけを徹底的に鑑賞する見方をした。
当然最初は金田一耕助。その見方をしたのも15年以上前だが、そのときから実はひとつの疑問があった。
金田一耕助が「しまった」と本気で驚いている顔をしているのである。わざと旅立たせたのではないのか?
しかし、その前に彼は、たしかに松子婦人が煙草に手をやるのを見て、視線をそらしている。
なぜだ。実は密かに疑問に思った。
しかし、他の市川+石坂作品を鑑賞して、金田一の個性は確実に固定された。
「獄門島」「病院坂」は説明の必要はない。旅立たせているのは明らか。
「女王蜂」は突発だったのであろう。
「手毬唄」に関しては青地リカが姿を消す場に金田一は居ないし、その場面はえがかれていない。だが市川作品である以上断言できる。彼がその場にいたら、リカが姿を消すのを金田一耕助は絶対に止めない。
これは横溝ファンでもある市川監督は金田一耕助の原作にあるヒューマニズムを守って描いているからである。
私も映画でファンになりそのあと原作も全部ではないが、かなりの数を読んだ。しかしそれも20年以上も前で、本は1,2度だが、映画は先述のように20回近く鑑賞しているので、どうしても映画の影響がつよく、原作のヒューマニズムを守っているのには、最近「悪魔の降誕祭」をそれこそ20年ぶり位に読み返して、再度認識したのが以前ブログで記したように正直なところである。
参照
(http://toridestory.at.webry.info/200608/article_17.html)
(http://toridestory.at.webry.info/200608/article_23.html)
(http://toridestory.at.webry.info/200609/article_1.html)
以上の固定された彼の個性から、また、まだ子供の時に最初みた印象がずっと尾をひいて、金田一の「しまった」は芝居だと思いこんでいた。それが、上記のようによくよく鑑て、本当に驚いているのに気づいて疑問を持っていた(原作は読んでいるのだが、くどいようだが20年もも前でわすれている)。
しかし、彼が芝居をしない訳ではない。
「悪魔の降誕祭」。犯人が殺害しようとしている人物の飲み物に毒を入れる。金田一耕助は一芝居うってその場の全員の気をそらし、その飲み物を犯人のものと入れ替える。
しかし、「犬神家」のときのあの「しまった」の顔は芝居とは思えない。
また、確信しているのなら芝居などせず、そのまま目を閉じてじっとしていればいい、他の人が倒れた松子婦人に気づいて駆け寄っても彼は動かず静かに目を開け、悲しい表情をうかべたであろう。
何故だ。
金田一耕助の洞察力からたばこを手にしたのを気がつかない訳がない。
そして、松子婦人は署長に、あなたは殺人の隠蔽をなぜしなかったと尋ねられ、佐竹と佐智さえいなくなればその後自分は捕まろうが、死刑になろうが構わなかったと発言している。その言葉を聞いた彼が(当然聞く以前からであろうが)、松子婦人が目的をとげれば、生きながらえる気がないことを気がつかないはずがない。
しかも金田一耕助はこの事件、最初から煙草に目をつけている。若林が那須ホテルで殺された時から。そして、佐竹の葬儀の席で煙草をすう竹子に、お姉さんたちも吸うのかと尋ねてさえもいる。
その点から、松子婦人に駆け寄った後の、
「煙草だ。若林さんを殺したのと同じものがこの煙草にはいってたんだ」
この発言は完全に周囲に対するものである。
しかし、彼自身、この席ではと、半信半疑であった可能性はある。「悪魔の降誕祭」いう原作にもそのあたりの発言があるが、彼の本心はハッッキリとは表現されていない。
参照
(http://toridestory.at.webry.info/200609/article_25.html)
まさか、この席で。この関係者全員そして、息子の佐清がいる前では命は絶たないだろう いや、この場ではやってほしくない、毒は入っていない との思いがわずかながらあったのでは。
「しまった、(やはり、この場で・・・)」
そのごくごくわずかな迷いのある中で的中した予感。その驚きの表情。
駆け寄った後の、
「煙草だ・・・・・」
あの発言は自分に対しての発言でもあった。
煙草に手をのばす松子婦人
それに目をやる金田一耕助
彼はすぐに視線をはずす。
そして一度目を閉じ、その後、松子婦人には視線をやらない
その後も彼は下を向き、さらにその後目を閉じ、決して婦人には目をやらず、婦人の言葉に耳を傾けている。
婦人が煙草を口にやろうとする時も・・・
そして婦人の言葉がとぎれた時、彼は目をあけ婦人に視線をやった
ハッと驚く金田一
誰よりも早く、異変に気づき立ち上がる
周囲の人は誰一人婦人の異変には気づかず、あわてて立ち上がった金田一を見つめている
「しまった!」
やはり彼は気づいていた。葛藤がありながらも・・・・
これが名探偵のヒューマニズムであり、私が感じるところのハードボイルド、つまり苦悩の末の優しさ、それが真実である・・・・・・・
リメイク版、早くみてみたい・・・
何回目だったろうか。20回以上は確実に鑑賞している。
そして以前からの疑問がまた思いだされた。
それは、最後の真相解明のシーン。
あの「しまった!」である。
最初に「犬神」をみたのは何年前だろう・・・思い出せない。
が、最初に鑑賞したときに、まだ子供ながら、金田一耕助は松子婦人を自らの手で裁きをさせたとすぐに感じた。
それから、何度かみてそして十回目位からは主要なひとりの登場人物だけを徹底的に鑑賞する見方をした。
当然最初は金田一耕助。その見方をしたのも15年以上前だが、そのときから実はひとつの疑問があった。
金田一耕助が「しまった」と本気で驚いている顔をしているのである。わざと旅立たせたのではないのか?
しかし、その前に彼は、たしかに松子婦人が煙草に手をやるのを見て、視線をそらしている。
なぜだ。実は密かに疑問に思った。
しかし、他の市川+石坂作品を鑑賞して、金田一の個性は確実に固定された。
「獄門島」「病院坂」は説明の必要はない。旅立たせているのは明らか。
「女王蜂」は突発だったのであろう。
「手毬唄」に関しては青地リカが姿を消す場に金田一は居ないし、その場面はえがかれていない。だが市川作品である以上断言できる。彼がその場にいたら、リカが姿を消すのを金田一耕助は絶対に止めない。
これは横溝ファンでもある市川監督は金田一耕助の原作にあるヒューマニズムを守って描いているからである。
私も映画でファンになりそのあと原作も全部ではないが、かなりの数を読んだ。しかしそれも20年以上も前で、本は1,2度だが、映画は先述のように20回近く鑑賞しているので、どうしても映画の影響がつよく、原作のヒューマニズムを守っているのには、最近「悪魔の降誕祭」をそれこそ20年ぶり位に読み返して、再度認識したのが以前ブログで記したように正直なところである。
参照
(http://toridestory.at.webry.info/200608/article_17.html)
(http://toridestory.at.webry.info/200608/article_23.html)
(http://toridestory.at.webry.info/200609/article_1.html)
以上の固定された彼の個性から、また、まだ子供の時に最初みた印象がずっと尾をひいて、金田一の「しまった」は芝居だと思いこんでいた。それが、上記のようによくよく鑑て、本当に驚いているのに気づいて疑問を持っていた(原作は読んでいるのだが、くどいようだが20年もも前でわすれている)。
しかし、彼が芝居をしない訳ではない。
「悪魔の降誕祭」。犯人が殺害しようとしている人物の飲み物に毒を入れる。金田一耕助は一芝居うってその場の全員の気をそらし、その飲み物を犯人のものと入れ替える。
しかし、「犬神家」のときのあの「しまった」の顔は芝居とは思えない。
また、確信しているのなら芝居などせず、そのまま目を閉じてじっとしていればいい、他の人が倒れた松子婦人に気づいて駆け寄っても彼は動かず静かに目を開け、悲しい表情をうかべたであろう。
何故だ。
金田一耕助の洞察力からたばこを手にしたのを気がつかない訳がない。
そして、松子婦人は署長に、あなたは殺人の隠蔽をなぜしなかったと尋ねられ、佐竹と佐智さえいなくなればその後自分は捕まろうが、死刑になろうが構わなかったと発言している。その言葉を聞いた彼が(当然聞く以前からであろうが)、松子婦人が目的をとげれば、生きながらえる気がないことを気がつかないはずがない。
しかも金田一耕助はこの事件、最初から煙草に目をつけている。若林が那須ホテルで殺された時から。そして、佐竹の葬儀の席で煙草をすう竹子に、お姉さんたちも吸うのかと尋ねてさえもいる。
その点から、松子婦人に駆け寄った後の、
「煙草だ。若林さんを殺したのと同じものがこの煙草にはいってたんだ」
この発言は完全に周囲に対するものである。
しかし、彼自身、この席ではと、半信半疑であった可能性はある。「悪魔の降誕祭」いう原作にもそのあたりの発言があるが、彼の本心はハッッキリとは表現されていない。
参照
(http://toridestory.at.webry.info/200609/article_25.html)
まさか、この席で。この関係者全員そして、息子の佐清がいる前では命は絶たないだろう いや、この場ではやってほしくない、毒は入っていない との思いがわずかながらあったのでは。
「しまった、(やはり、この場で・・・)」
そのごくごくわずかな迷いのある中で的中した予感。その驚きの表情。
駆け寄った後の、
「煙草だ・・・・・」
あの発言は自分に対しての発言でもあった。
煙草に手をのばす松子婦人
それに目をやる金田一耕助
彼はすぐに視線をはずす。
そして一度目を閉じ、その後、松子婦人には視線をやらない
その後も彼は下を向き、さらにその後目を閉じ、決して婦人には目をやらず、婦人の言葉に耳を傾けている。
婦人が煙草を口にやろうとする時も・・・
そして婦人の言葉がとぎれた時、彼は目をあけ婦人に視線をやった
ハッと驚く金田一
誰よりも早く、異変に気づき立ち上がる
周囲の人は誰一人婦人の異変には気づかず、あわてて立ち上がった金田一を見つめている
「しまった!」
やはり彼は気づいていた。葛藤がありながらも・・・・
これが名探偵のヒューマニズムであり、私が感じるところのハードボイルド、つまり苦悩の末の優しさ、それが真実である・・・・・・・
リメイク版、早くみてみたい・・・