市川崑の金田一耕助  登場人物の素朴さ・・・ 2

私は「犬神家の一族」の原作を25年位前に読んだきりでその詳細はもう忘れています。


その原作を忘れている私にとって、の原作について、いつもお邪魔するブタネコさんの「●石坂:金田一と市川版:横溝映画 考」(http://buta-neko.com/blog/archives/2007/01/post_1000.html)の中で、私は大変興味深い事実と出会いました。

>原作における珠世は少なくとも中盤過ぎまでは「重要参考人」であり、ともすれば終盤まで けっして「犯人では無い」と判断できる状況では無い。
つまり、「疑わしい女」状態だという事で それが更なる謎を呼んでいるのだが、「市川・石坂版」における描写では 珠世は幸薄げな儚い美女 プラス ちょいと健気な女…みたいな描写である。

この部分に私は興味をひかれました。

以前、私は「」市川崑の金田一耕助  登場人物の素朴さ・・・」(http://toridestory.at.webry.info/200611/article_25.html)という記事を書きました。

そこに通ずるものを感じました。ここでもあったか!と。

その詳細は当然違うものの、市川版ではよく、女性の原作にある、つよい華の部分・毒の部分を表現せず、おとなしい、清純な、素朴なイメージのキャラクター、役者を使います。

前の記事に関してはその内容の通りなのですが、この「犬神」についてはどうか。
全体作風を考慮してか。

ただ、今回の場合は前とはその意味あいが違います。が当然、シャクのことは現実問題として存在します。
私は次のことを感じます。
「犬神」の核は佐兵衛翁のその狂気に彩られた至上の愛と私は思います。佐兵衛翁がその生涯で最も愛した唯一の女性、野々宮晴世。そこには大変複雑な関係と思いが絡み、佐兵衛翁は悩み、苦しみます。やがてその鬱積した思いがあらゆる欲へと転じ、怨念に転じます。
また後世でその愛の深さは別に、自分の意志で感情をみせた青沼菊乃という女性が存在してきます。
しかし、佐兵衛翁の愛の深さはあきらかです。
その意味でやはり生涯で愛した女性は一人であったと思います。そしてその孫が珠世で、佐兵衛翁は珠世に犬神を託そうと考えます。自分の怨念の呪縛にとらわれていない、珠世に。市川監督は、その核を明確に表現したかったのではないでしょうか。その限られたシャクの中で。

原作にあるような珠世が疑わしい人物にせず、一途に佐清を思う、清純な芯のつよい女性にした。つまり愛を重ねたのです。佐兵衛翁の晴世への愛と、珠世の佐清を思う深い愛を。

謎がひとつなくなることでミステリー的には弱くなるかもしれないが、その表現したい核を、限られたシャクの中で、鮮明に描きたかった為に。
いや、ミステリー的に弱くなっているのでしょうか。決して弱くはなっていない、この点で佐兵衛翁の愛をつよくすることで、その転じた怨念の深さがより強く表現され、それがあの遺言状の深い意味へとつながるのです。
私はそのように感じます。

やはり原作通りに描かないことで、限られたシャクの中で、映画としての核、伝えたい部分をより強く表現したのではないかと思います。

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最後にこの場合、素朴とはニュアンスが違うかもしれませんが、あえてこのタイトルでUPさせて頂きます。






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