「わらの犬」~すべては自分自身の為に・・・。

「わらの犬」  1971年 アメリカ

原題 STRAW DOGS

監督 サム・ペキンパー
主演 ダスティン・ホフマン

何年ぶりであろうか、久々に鑑賞した。
私はあらためて鑑賞して記事をかくという点で、非常にむずかしい作品ではないかと思う。
この手の作品は、感じたままを、私なりの、画から感じたままを記述する。
つまり論理的ではなく、辻褄があわず矛盾しているかもしれない。そうは表現してないだろうと、思う人もいるかもしれない。ただ、何年ぶりかでみて、まとまらない想いだが、感じたままをそのまま記述してみる。


冒頭、クレジットのバックで焦点のずれた、ぼやけた画がうつしだされ何かわからない。それがクレジットの終わりで焦点があう。これが直感的に全てを表しているように感じた。

そして、その後の妻のエイミーのノーブラの、セーターの姿で乳首がたった画が飛び込んでくる。そして大きなワナ。非常にショッキングでいやらしく、不安というか、不吉なものを感じる。

そして、デビット一人とエイミーとチャーリー2人が並ぶ画。これも非常に不安定な思いを感じさせる。デビットの笑顔が素直にみられない。何というのだろう、空しさを感じさせる。そしてデビットは一人、タバコを買いに酒場へ向かう。彼は、まったくみえていないのか、いやその場を逃げたのか。そして、その関係等もすぐにセリフでわかる。

その後の酒場でのシーン。ハナから映画の先の展開の不安を暗示させる。

デビットは結局、自分しかない。表面的というか、基本的には妻を愛し、人とも、その街とも自分では普通に、周りも気にし、デビットなりにつきあっているのだろう。

しかし、結局自分のことを中心に、自分しか考えていないように感じる。
それが妻は不満であり、まあ、子供である部分は感じるが、夫を愛してはいるが、その夫への不満、イライラが周りへの挑発につながり、幼稚な行動をさせているように思う。

デビットは自分しか見ていない、いや周りをみようとしていないのだろう。彼も妻には不満をもっている。それを物わかりがいい素振りで、焦点をあわせず、自分自身へもごまかしているように感じる。

彼はうけいれられていない現実をみない。つまりきちんと現実と対峙しない。結局、焦点がぼけている。バカにされ、からかわれていることさえも見ようとしない。
いや、頭のいい彼はみているのである。そして彼なりに注意し、つきあとうとしている。街の女の子のこと、そして街の人間たち、彼はみているのである。しかし、それは・・・、結局ぼやけているのである。うわべだけで自分で焦点をあわせないのであろう・・・。それが彼の主義。つまり人との争いごとをさけたいという思いからくる心理的な行動。
そしてそれが彼には本気なのだが、それがもう焦点がズレている・・・。

人にも街にもけっしてなじんでいない。
酒場でデビットが“スコッチに氷を”となんの躊躇なしに自分のアメリカ人としての好みで注文して、周囲に笑われる。
このシーンが非常に象徴的であり印象的。

さらにいえば牧師とのシーンも。

そして、ネコがきっかけでおかしさが表面に出始める。

ペキンパーの演出もよい。前半、夫婦関係と周囲の人々、その関係を丁寧に描いている。
画、カットなどもおとなしめで丁寧である。

しかし、エイミーのレイプシーン。この演出、画はすごい。はっきり言って興奮した。久々に映画のこの手のシーンでだ。決して画的には今どきとしては露出がすごいわけではない。しかし、当時を考えるとかなり衝撃的ではないだろうか。エロいのである。今みてもそう感じる。ペキンパーのあの細かなカットわり、エイミーの表情と狩りに出かけているデビットのカットを細かに交互にいれる。当然、演技のよさも当然ある。そして、彼女がうけいれるセリフをはくところ。非常に刺激的なシーン。だが、ここエイミーは何をおもったのだろう。夫と重なったのだろうか。つよく自分をもとめるチャーリーに、その思いに夫の顔を重ねてしまったのだろうか・・・。夫から離れる気持ちが芽生えたのだろうか。男の私には十分には理解できない・・・。
しかし、デビットとの交錯するこの画は秀逸である。そしてここが全ての始まり。

デビットもエイミーも同時にある一線を越えてしまう・・・・。ここから序々に動き出していく。2人の心の中で・・・。そしてやっと2人とも現実をみはじめる。
いやエイミーは完全に現実をみたであろうと感じる。しかし、デビットは見え始めるが、その焦点はまだ完全にはあっていない・・・。まだ、あわせきれずにいる、いや完全にはあわせようとしていない・・・。それがあの手についた血をムキにふこうとする姿に感じる。妻のこともそのセリフから感づいたのか、それを認めたくないのか・・・。結局自分自身からぬけでようとしない。

デビットがチャーリーたちをクビにした後、家の前にすわりこみ、街を呆然とながめているシーンが妙に印象的。彼は街をその実際の距離よりも非常に遠いものにみえたのではないだろうか。やっと見えてきたのでは・・・。妻は妻で街を遠くへ引き離したかったのかもしれない。

そして、いよいよ教会へむかう。その晩がやってくる。
デビットはそれでも最後までは現実をみない。いや自分自身の貫いてきた思いを意地でも守ろうとする。それが自分であるから。

しかし、判事の死を目にして、彼ははじめて他人に対し声をあらげる。やっと自分の素直な感情を表にだす。だが、それは所詮は自分自身の中で・・・。
デビットが完全に焦点をあわせた時、現実をみた時、それはやはり・・・。
結局、彼は人とも街にもなじめない。そのことをやっと気づく、いや、やっとわかろうとした。もう遅い極限の中で。
彼は争い事から逃げることをやめる・・・。暴力を使わないことも・・・。
そして恐ろしいくらい、不気味なまでに冷静に戦う。鬱積したものを晴らすかのように激しく、しかし、それは結局自分自身を守る為。


ハイスピードでの映像はそれほど多用していないですね。しかし、迫力がある。アングルと効果的なハイスピードとカットわり。そして全体の画と人物の表情のアップの挿し具合。これが絶妙です。そして間というか、メリハリ。画自体は決して残虐でグロイものだはありません。しかし、いわば静なるバイオレンスというか、非常に画に、怒りというよりも、その表情におとなしい激しさと、しびれる位の凄みを、うちから溢れる凄みを感じます。演出と役者の演技力にほかならない。

結局、彼は自分自身をつらぬき、選んだのでしょう。そして、それまでは周りも自分も見えていなかったのでは。
私はよく一般的にいわれる“恐怖が人間の心の奥にひそむ 兇暴な血をかきたてた”との部分は感じない。デビットは恐怖を感じているのだろうか・・・。そして怒りの念を抱いていたのだろうか。私には恐ろしい程、冷静で内から溢れ出る凄みを感じる。そして、自分を守る為に、やらなければ、やられっぱなしでは、無視しているだけではダメなことがあると気がついたのではないだろうか。
私は、デビットが恐怖におびえているとも、怒りは当然あるだろうが、それを爆発させたとも感じることができない。たしかに妻には怒りの感情をみせる。しかし・・・。
冷静に、やらなければ、広い意味での自分自身を守れないと思った。その危機感、この危機感こそが恐怖なのであろうか、そして怒りなのだろうか。その自分自身を破壊される危機感が、人間の内に潜む凶暴な暴力性の本質をえぐりだし行動させた、つまり自己防衛。攻撃は最大の防御、正にこの言葉につきるのでは・・・。

そして、やっと全ての焦点があった、いや合わせた彼は妻をおいて、街をあとにしたのでは・・・。同じく街に自分自身をわかってくれない、うけいれられない者と一緒に・・・。
焦点のあった彼には逆にもう街はみえないのではないだろうか・・・。
私はそんな気がする・・・。


画像



非常にまとまらない、自分でも何をいいたかわからない。
ただ、デビットが単純に怒りを爆発させたとは感じとれない、非常に冷静で、淡々とした非情な凄みを感じる・・・。





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  • わらの犬

    Excerpt: やはり観て良かった。 忘れるくらい久々の鑑賞。 「わらの犬」 1971年 STRAW DOG 監督:サム・ペキンパー 大酒のみのペキンパー、男盛り、46歳! 原作:ゴードン・M・ウ.. Weblog: 映画と暮らす、日々に暮らす。 racked: 2007-02-17 18:27
  • わらの犬

    Excerpt: 『わらの犬』 ---STRAW DOGS --- 1971年(アメリカ) 監督:サム・ペキンパー 出演:ダスティン・ホフマン、スーザン・ジョージ イギリスの片田舎に越して来た学者夫婦。 .. Weblog: こんな映画見ました~ racked: 2007-08-15 11:02