自身に問う、何故、映画=芸術に違和感を感じるのか・・・・。(追記)

時代の情景」のトム(Tom5k)さんより、

先日記述した記事

映画への想い・・・。賛同と反感。 ~これが私の映画への熱い、深い想い・・・。」

へいただいたコメントの中で、

>映画が芸術であるのか否かは、未だ結論の出ているものではないということです。
 小説においても「直木賞」と「芥川賞」があるように、映画にもそれはあると思います。一方のみではないと思って います。

と書かれていた。

ただ、これは返信のコメントにも書いたのだが、私の、あくまでも私的な想いであり、一般にどうこうではない。私の中では、結論は明確にでており、映画は娯楽なのである。


ここで自身に問うてみる。
なぜ、私はここまで映画=芸術を否定するのか。
なぜ、違和感を感じるのか。
映画=娯楽にこだわるのか・・・・。


だが、このおっしゃることは確かにその通りである。
たしかに映画にも完全に娯楽に徹してもの、芸術性(一般的概念での)のつよいものがある。
そう、純文学と大衆文学のように。

つまり、一般的には、芸術映画と大衆映画・娯楽映画。たしかに両方がある。
間違いなくそのどちらか一方ではない。

ただ、くどいようですが、私のこだわる映画とは、つくりもので、当然ストーリーが存在し、一般公開するもの。
先日も「不都合な真実」にていての記事、

あなたならできる  ~「不都合な真実」

でもふれた通りです。

ただ、娯楽性がつよくとも、いかにその表現に、映像にこだわり、映像美を追求しようとも、これは先日の記事でも記述したが、つくり手にとっては様々な映画とうものがある。中には私は違和感を感じるが、芸術と思っている人もいるだろう。

あっ、まずここで芸術という概念が私的に一般と私は違うようである。



芸術

 芸術(げいじゅつ、ギリシア語 η τεχνη techné、ラテン語 ars、英語 art)とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽、演劇など。

とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情、など様々である。


とある。

う~ん、この通りならば、たしかに映画も芸術か。そうであろう。

ただ、私は自身の想いで、間違いなのだろうが、音楽はたとえクラッシックを聴いても芸術とは思わないですよね。
正に音を楽しむものなんです。
文芸もいかにすぐれた文章、物語でも私は芸術とはおもわない。文学ですね。
大衆文学、純文学どちらもあくまでも文学です。

そして、よく大衆文学と純文学があるように映画にも大衆映画と芸術映画あるという方もいらしゃいますが、
私には違和感が。ソレは違う。文学はどちらもあくまでも文学。
このくくりで映画をわけるとしたなら、間違いなく大衆映画と純映画としなくてはならない。
大衆と芸術になぜ変換してしまうのか・・・。
そして、百歩譲ってこの分け方をありとしてもそれは映画の中のジャンルになる。
そう、映画全体は芸術ではない。どちらも一般公開するのであれば娯楽である。
すると大衆娯楽と芸術娯楽・・・・?!えっ。
まあ、この分け方自体私には理解できないのでこの話はこの辺で。


話をもどしますが、

そう、私の中で、芸術はなにか理解できなく、難解なもの、楽しめるものでないというヘンな想いがあるのでしょう。

演劇も芸術~?、演じること、芝居が・・・・。
上記の文だと正に芸術ですよね。
でも私は芝居を芸術とは絶対に想えない。

つまり私の芸術という概念がまちがっているんでしょうね。しかし、これはもうどうしようもない。
私の中で、芸術というと、まずうかぶのが、絵画。
それもピカソなどの私が理解できないで、評価され高額な値段のついているもの。
他には、建築、焼き物、彫刻これらが、私の中では芸術。
あのう、画は抽象画でない以外はある部分で、多少の理解はできますが、焼き物など何がいいものか、などサッパリわかりません、その価値の判断が、私には。

つまり、芸術とは必ずしも万人が理解できるものではない、難解なものという概念なんですね、私は。
そして、理解できる絵画、焼き物、彫刻などは私には芸術ではなく、美術、美術品なんです。

しかし、映画は真のメッセージをどこまで把握出来るかは別に、最低、ストーリーはおえるんですね、誰でも。
ここも芸術ではないと私が思う理由の一つ。

それと、私の中で芸術とは商業性を求めないものという思いもあるのであろう。
これは一番の理由ではない。
だが、この商業性という部分も私に芸術でないと想わせる一因である。

予算があり、クラインイン前に公開日が決まっているなどという場合もある。
映画とは製作段階で監督のものであるが、その監督が製作者に切られる場合もある。
そして、ハコで回数を上映するために、短く編集されるという現実もある。
役者の都合で監督も納得いかないキャスティングで撮るという場合もある。

そして、興行収入をえて、そののちDVDなどの二次製品にもなり収入をえる。

このような点からも私は芸術ということに大きな違和感を感じる。

だが、これが第一ではない・・・・。



日常で私自身も

“これはもう芸術(芸術の域)だね~”
と思うこともある。
それは、自然の造形美であったり、とてつもない美しいものや、普通の人にはできない技などを見たときには口にし、思うこともある。
そしてそれは万人が認識できることである。
だが、それは厳密には上記の括弧のとおり、芸術の域だという想いであり、芸術であるのではない、私の中で。



そして、映画の中のジャンルとして、芸術映画であったとしても、やはり私は娯楽だと思うのです。
そう、鑑賞する側、私は決してつくり手ではなく、一般の、大衆の、一鑑賞者です。その私から見た場合に・・・・。



娯楽とは

エンターテインメント(英語:entertainment)は、多くの人々を楽しませることをその主題とする、文化的な活動の一つ。

とある。

私の映画を鑑賞する姿勢、それがとにかく映画を楽しむこと。
余計なことを考える必要はない。難しく考える必要はない。
まず感じればいい。ただ感じればいい。
そして、その感じることから、映像の行間を読んだり、映像との対話までも可能にすることにおよぶ。
それが私の想う、感じること。
理解しようという意識はいらない、まずは感じること。それが全て。
あとのことは鑑賞後に考えればいい。
そして、集中して、映画を楽しむこと。

それは、喜劇だろうと、悲劇だろうと、アクションだろうと、ヒューマンだろうと、そう芸術映画であろうと、大衆・娯楽映画であろうと。その映像を楽しむこと。

それに芸術の概念、その間違った概念だが、それが私の芸術というもので固定されてしまっている。
そう、芸術とは万人が理解全て理解できるものではない、難解なものという概念が。
しかるに、誰が見てもいい、そして一般大衆の誰でも楽しめることができる映画は芸術ではないという思考になるであろう。
それ以上に、繰り返すが、この楽しむこと、一般大衆が誰でも鑑賞できて、誰でも楽しめること。
それが私の中の映画である。
そのことから、この楽しむものという概念の強さが、映画=芸術を否定し、映画=娯楽という想いを非常に強くさせ、こだわらせているのであろう・・・。


そう、娯楽という言葉が、私の中の映画というものに、正にそれと合致するのである・・・・。


故に私は思う。

映画とは芸術ではない。
映画とは娯楽である。
大衆の娯楽である。



【後記】


今一度かんがえてみる、問うてみる自身に。

やはり、映画とは楽しむもの。
それは大衆作品だろうと、一般にいう芸術性のたかい作品だろうと。

他の方がどう思われようと、疑問をいだかれようと私の想いは変わらない。

やはり映画は芸術ではない。映画とは娯楽である。








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