「相棒」についての疑問。最大で最悪のミス、愚かな製作側・・・。(追記)

テレ朝の刑事ドラマ「相棒」。

私はこれは水谷豊と寺脇の2人が主役だと認識していた。

そう、この2人のドラマだと。



以前、ドラマの中でも特命係が実質機能しだしたのは、亀山が特命係に異動してからだとのセリフがあり、そう描いていた。

シーズン5でも小野田官房長が次のようなセリフをはく。

「僕は、特命係は杉下が動かしていいるものとばっかり思ってました。
でも、違ったんですね。亀山薫くん・・・・。」



そう、たしかに右京はキレモノであるが、組織的には問題児であり、官房長の信頼そして、彼を理解し、つきあえる相棒の存在が彼の本領を発揮するには必要だったのである。

それを亀山がいなくなっては、特命はどうなるのであろうか!
右京は誰とでもつきあえる人間でない。
キャラがこわれしまう。

そして主役が降板しては、そのドラマは終わりである。


製作的には、リアリティを常に追求してきたドラマであり、その点から亀山がいつまでも特命にいることは現実的でないとのことだったが、どちらかリアリティがないのか・・・。

それとも亀山との長年のつきあいで、右京は取っつきにくくなくなってしまったのだろうか・・・。
いや、確かに亀山とつきあうことによって右京は変わったであろう。
だが、それは右京を真に理解するものが感じる変化・・・。
それこそ、リアリティがない。

右京の相棒がそうだれでもなれるのでは、このドラマのコンセプトが、このドラマがなりたたないのではないのだろうか。

そう、右京の相棒は、このおっちょこちょいで、お人好しで、すぐに感情的になる熱血漢のお坊ちゃま育ちの亀山しかいない。
これでこそ、この「相棒」が成立していたんではないだろうか・・・。

右京は、“頑固で不器用で天の邪鬼。この人の下で働く人はみんな辞めていく”
それが、杉下右京。

この人の下ではたらく者はみんな自信を無くしてゆく・・・。
つまり右京を理解すればするほど、離れてゆく。
だが、それは表面上・・・。
真の彼を理解すれば、大抵は真に理解し受け入れる前に去っていってしまう。

とにかく、彼の相棒はそう簡単にはつとまらない。
それがこのドラマのコンセプトなのでは・・・。

そこをおざなりにして、後付のようなに、いかにも大層らしく、亀山の継続的な特命所属はリアリティがないと言いはるのは、当初の、このドラマの真のコンセプトの見失いであり、製作上の決定的なミスである言わざると得ない。


私は水谷のファンだが、亀山の降板で、この「相棒」への興味というか、感心が激減し、見る気が失せてしまったのが本心である・・・・。


製作側は自分らの製作スタイルに酔ってしまっただけで、視聴者が何をのぞんでいるのかを真に、いや、全く理解していないのである。

自分らの製作に対するこだわりを優先し、視聴者の要望を全く無視した。
水谷が主演であることから、視聴率的には保持するだるが、私は騙されない。

これは、まちがいなく製作側のミスであり、亀山がいなくなった段階で、ドラマを終わりにするか、最悪はタイトルを変えるべきである。

私は、誰にどういわれようとそう思うし、そう信じて疑わない。


私にしてみれば、自身に酔って、見る側の要望が見えなくなった愚かな製作者達であると、断言する。


反論があればいくらでもどうぞ。
私は理解できると、日本全国の人間が反論してきても、私の思いは決して変わらない。
私は、人に何か言われてそう簡単に意見や、思いを変える人間ではない。

そう、このドラマに関して、私の思いは絶対に変わらない。


そう、このスタッフは勘違いをしている。


内容は時事問題などを先取りして、先進的な内容を描いていると自負しているのだろうが、私にいわせれば水谷人気におんぶにダッコの愚かな発想の集まりでしかない。

はやく「相棒」としての放映はやめるべきである・・・。





といっても見てるのだけどね・・・・。

そして、当然、私はビールを、500ミリ缶を5本すでにあけている酔っぱらいである。
故に当然、本音が!

これが私の本音だっ!!!


主役がやめたドラマなど、続ける意味はない!!!!

水谷に甘えるのもいい加減にしろっ!!!!!!!!!!!!!!!!!「


革新が、そう、既存のものを壊して、新しいものをつくりだしていくとこが進歩であると思いこんでいる愚かな人種の最たるものである。

たしかに長年の既存をこわし、常識を打ち破ることは革新的で、勇気がいり、進歩であろう。
しかし、それが全てにおいて最善ではない。

継続が、つまり長きにわたる永続をつづける勇気と、その中での変化と進歩こそが、まるで新しいものをつくるよりもある面で難しいのでなないかと、私は思う・・・・。

継続する勇気とその中での進歩。
その選択。

これも勇気であり、見る側が望む中での進歩を、需要があるうちはその中での変化を模索し、作り出すことが私はtVでは一番重要なことだと思う。

そう、需要があるうちは、見る側が望んでいることをみたすことが一番の追求する点ではないだろうか・・・・。

TVドラマの場合、その対応は見る側の要望を先取りすることと、期待を裏切ること、要望を満たすことをはき違えては大変なことになる・・・・。


そして、私は断言する。
このドラマの人気、視聴率が保たれるとしたら、それは全てとは言わないが、大半が水谷人気であろう・・・・。



亀山とのコンビではもはや、描ききったと、美和子の絡みももう必要でHないと、そういうのであればそれは自らの限界の認めであり、限られた世界の中での水からの構想の欠如を、渇水を意味すもの以外何者でもない。


いや、単なる飽きではないだろうな・・・・。



追記


リアリティを求めるというのなら、最初の頃のように、たまきの店に他の客をきちんと来店させる描写をするほうがよっぽどましである・・・・。
大体リアリティなどハナからないドラマである。
捜査一課のあり方にしても、鑑識のあり方にしても・・・・。

薫の卒業、特命にずっといるのはリアリティがないというのは、私には屁理屈にしかきこえない・・・・。


プレシーズンのころのサブタイトルが懐かしい・・・。

警視庁 ふたりだけの特命係・・・・・・。




やはり「相棒」としては、ドラマは終わりにすべきである・・・・・。







































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