ヤマト・・・・・ 。地球か、何もかもみな懐かしい・・・・。ヤマトへの複雑な想い・・・・(再追記)
そう、ヤマト、999、もろなんです。
ガンダムで、もう私はついてゆけません。
で、ヤマト。
観ないわけにはいかないので、鑑賞しました。
http://www.youtube.com/watch?v=vsDHObtCzRE
感想は・・・・・・・。
本編に対する私の基本的な想い、
いかなる映画も、いかに原作があるものでも、その作品は、それ独自のものとして鑑賞しなくてはならない。
これが原則なのですが、
もちろん例外があります。
想いの深い作品は、原作の核が、その核、原作があるものには、その描くべき核、これがいかに取り込まれているか、
もちろん、独自の作品として、映画版として観なくてはいけないのですが、
オリジナル脚本でない限り、これは宿命なんですね・・・・。
いかに原作を理解し、愛しているか。
原作があっても、原案利用程度で、全く違う本にしてしまうほうが、逆に楽しめる場合がありますよね。
それほど、原作があるものはきつい。
私の中では、横溝作品、そう、金田一とかね、あれは何度もいいますが、
おどろおどろしさなんていうのは、幻惑なんですよ。核ではないんです。
それを、大抵のバカな脚本家や監督は、おどろしさを、本質としてしまう。
犬神家でいえば、三種の神器の呪いが核などと、バカな脚本をかく素人以下の脚本家もいる。
あっ、ちょうどこの脚本家のようだが・・・・。
(いい本を書く場合もあるのだけどね・・・・)
核は、本質は、人間の業なり、深い想いなんです。
おっと、脱線・・・。
ヤマトもね、やはりこの私の原則にとてもあてはめれらない、想いの深い作品なんです。
ヤマト世代でない人は、アニメを観てない人はいいかもしれないけどね・・・・。
いきなり、波動砲つかうなよ。
波動砲の最初の発射は木星の浮遊大陸を、ガミラスの基地だけではなく、その意に反して大陸ごとふっとばさなくては・・・・。
そして、波動砲を安易に使いすぎるっ。
スターシャは、サーシャは?
イスカンダル=スターシャだろっ!
これを描かないんなら、イスカンダルを出すなっ。
イスカンダルとガミラスの関係も、あ~あ、なんてこった。最悪だ。
バカじゃないの。あり得ない・・・・・・・。
ひとつの星ではダメなんだよ。二重惑星でなくちゃダメだろっ!
森雪はレーダーをみてろっ!
そして、何で黒髪?
古代さん、じゃだめだろっ!
古代君だろっ!
ちゃんとガミラス星人をだせっ。
なんだ、あのガミラスの戦艦は?
変なエイリアンにするなっ!
クスモクリーナーは?
確信なく、14万8千光年に旅立つなよっ!
なぜ、デスラー艦が、デスラー砲が・・・・・。
瞬間物質輸送機は?
ドメル将軍は?
伊武がせめてもの救いか・・・・。
それと友人E君も言っていたが、計器類がね、デザインが松本零士してないんだよね~。
こういうところは、凝ってほしかった・・・。
艦長席と艦長室も艦長の椅子で自動で移動できないとね・・・・。
あれで艦長室からおりてくるのがいいんですよ。
『地球か、なにもかも みな 懐かしい・・・・』
この台詞が、
この名台詞が、全く生きない・・・・・。
クズ脚本であるっ!!!
この台詞のあとに事をおこすなっ!!
艦長を安心して、安らかに眠らせろっ!!!!!
そして、
そしてっ、
沖田艦長の亡骸をちゃんと地球へかえせっ!!
沖田艦長は地球に還り、英雄の丘にその勇姿を永遠に残さなければいけない・・・・。
まるで、まるで分かっていない・・・・・・・。
3部作くらいにして、もうちょっときちんと描けなかったのでしょうか?
金がないか。
アニメとは別ものとして楽しみましょう。
当たり前か・・・・・。
でも、それでも、これはヤマトではない。
こんなのでは、俺は全く泣けない・・・・。
14万8千光年、往復29万6千光年の旅はこんなものではない。
ヤマトは無事、地球に還らなくていけない。
イスカンダルからの帰還はハッピーエンドでなくてはならいのである。
そう、ヤマトがなくなるのは、古代が死ぬのは、『さらば』でなくてはならない。
(劇場版である『さらば』と、TVの『ヤマト2』は別物ですよ。
『さらば』のあとですからね、2がはじまったのは。
さらには、『新たなる旅立ち』は、本来TVスペシャルですからね。そう、2の続編としての。
まあ、厳密に言うと劇場版の1も、最初は全くのTV版の再編集ものではないのだけどね。
幻のスターシャ死亡編)
まあ、当時、
私の中では、ヤマトはこの劇場版『さらば』で一度終わったんです。その想いが強かった。
なので、TVで2が始まったときには、何故?と違和感を当時もったものです。
というか、子供心に裏切られた想いが。
あの『さらば』はなんだったんだと・・・・。
なんかだかんだ言っても観ましたけど。
TVと映画は別なんだと自分に言い聞かせましたけど・・・・・。
松本零士が特攻を美化するのをきらったようですが、
これは私がこのブログで何度も書いているように、いかに描こうと、特攻=戦争美化とはならないのです。
その勇気を讃えることは決して間違いではないのです。
命令ではない、愛する人を守ろうと、命がけで守ろうととしたその必死で純粋な末端兵士達の想い、勇気。
それは絶対に否定させませんっ!
その勇気を讃え、特攻という愚かな間違った狂気を、戦争の狂気を知る必要があるのです。
これに関して、松本は完全に間違っています。
特攻のどこが美しんですかっ!
1は、かれのこだわり通り生還するのが核です。これは正解だと強く想います。
が、特攻が、私はどう描こうと美化とは、いかにその行為を、勇気を美しく劇的に描こうとも美化とは想わないし、想えない。
劇的に描けば描くほど、美しく描けば描くほど、その行為の愚かさが、戦争の狂気を痛感させられる。
そして特攻とは間違いなく讃えるべき勇気であると同時に、愚かな狂気の沙汰である。
特攻とは勇敢ではあるが、決して美しい行為でなないのです。
これを区別できない、
いや、一緒くたにしか考えられない愚かな人間が多すぎる・・・・・。
そう、英雄視は危険などと命を書けた彼らを侮辱するようなことは許さない。
全ての国民がそうであるが、
民間人も兵士達も、一部の上層部をのぞき、
愛する者をただ、純粋に守りたいと命をかけて戦った全員、
その中には当然、特攻隊員達も含む。
彼らは間違いなく英雄である。
愚かな狂気を強いられた英雄なのである。
どう考えても敵に体当たりすることが美しいはずがない・・・・・。狂っている・・・・。
だが、その勇気を否定することは完全に間違いです。
『さらば』は、あれでいいんです。
あれで、人類は、愛する者を守るためには戦わなくてはならないと同時に、
決して戦争などをしてはいけないと強く想うのです。感じるのです。
そして、本来、ヤマトはあれで完結すべきだったのです。
そこに、松本の想いが、そしてさらにはずるずると商業主義が・・・・・・・・・・・・。
ということで、共感できる、『さらば』は私は大感動でした。
そして、私のヤマトはここで、この『さらば』で基本的に終わっています。
『さらば』での、ヤマトの水中からの発進シーン。
島が現れず、仕方なく古代がヤマトを発進させます。
が、途中で彼が・・・。
“上出来だよ、古代”
これがいいっ!
1作目の最初の発進シーンもいいが、この水中からの発進、私は好きだ。
“沖田の子供たちが行く・・・・”
加藤たちが、新しい機、コスモタイガーで乗り込んでくるところもいいっ。
http://www.youtube.com/watch?v=qkhfHOTp8DU&feature=related
『ヤマトより愛をこめて』、ジュリーのドーナツ盤、当然かいましたよっ!
う~ん、やっぱり別ものとしてはどうしても観られない。
主題歌も、アレじゃなきゃ、ダメなんだよっ!!
阿久悠と宮川奏が書いたんだぞ!
今一度OPを。
まあまあよかったのは、最初の波動砲発射の過程の時くらい・・・・。
ターゲットスコープ オープン
電影クロスゲージ明度20
対ショック、対閃光防御・・・・・・・
でも、やはりこっちでしょうっ!!
こっちは、1作目でない映像ばかりかな・・・・・。
俺の波動砲が発射寸前だ~!!!!
名曲『真っ赤なスカーフ』
EDはこれでしょうっ!
最後にもう一度、
イスカンダルからは、
ヤマトは無事に還ってこなくてはいけないのですっ!!
これが艦の本来の姿。
美しい青い海に、優雅にうかぶ戦艦の姿。
これが、戦わない戦艦こそが、
本来あるべき姿なのです。
そう、優雅に美しい広大な海にたたずむその姿こそが・・・・・。
まあ、香取版座頭市のときほどでは・・・・・・。
だが、
だがだよ、
諸事情は大人として理解するも、なぜTBSがヤマトを記念作品としたか、アニメ放映は日テレとフジだったような・・・・、
そして、単発という様々な制限、
しかし、それでも・・・・、
キムタク?
でなきゃ、集客できないか?
いや、なぜ得体のしれないエイリアンにする必要が?時間と金か?
本意が、核が理解できない・・・。
まあ、それぞれの人のヤマトへの想いが、それは尊重する上で、
あえて、
私は、
このヤマトは、どうしても、
このヤマトは・・・・・・・・・・、
やはり、
ないでしょう・・・・・・・・・・。
ただ、日本の映画として、頑張ったとは想います!
だが、ヤマトではない。
2時間では、宇宙の空間を、その広がりを描けない。
それは999にも通ずる松本氏の想いなのである。
なぜ、あの赤い地球をえがいたのか。
それは、あの美しい地球、青い地球を取り戻すため。
それがイスカンダルへの長い旅路、
それは、スターシャへの想い、彼女がこの作品の真のヒロインなのである。
その彼女を描かないとは・・・・・。
核が・・・・・・・。
そして、この作品の醍醐味は、
“地球滅亡まであと・・・・日”
これは1回では、そう、
イスカンダル編は1回では、
絶対に描けないのである・・・・・・。
音楽ひとつにしても、今は存命でなくとも、ヤマトの音楽は宮川奏以外いないのである。
その点からも、これはあのヤマトでは、
絶対にないし、
絶対に認めない。
私はこれを認めるほど寛大では、まだない・・・・・。
要は子供なのか、フッ。
それでよかろうっ!
子供で結構!!!!
私には、
変える本意が理解できない。
私には、わかっていないとしか想えない。
だれがなんといおうと。
『さらば』のときに、オリジナルサウンドトラックを買った者としてはね、
ヤマトの音楽=宮川奏なんだよね・・・。
主題歌はね、これ以外ないんですよっ!
1作目、イスカンダル編はっ!
わるでしょうっ!!
これを使わないこと自体が、もう理解できない。
必ず還ってこなければいけないんですっ!
ヤマトはっ!!!!!!!!!!!!!
期待してはいけないと自分に念をおしつつも、心の奥底では、実はワクワクしていた自分がちょっとあっただけに、
とても残念な作品でした。
1作目を、イスカンダルへの旅を単発で描こうとしたこと自体、
そして、ヤマトという原作の力を甘くみていたのでは・・・。
エアロスミスの奴にうたわせてどうする?
あの戦艦大和がもとなんだぞっ。
あの偉大なる主題歌を使わない上に、
外人に唄わせてどうする。
実写版だろうと、なんだろうと、ヤマトの、イスカンダル編での主題歌は
あの『宇宙戦艦ヤマト』以外にはないんです。
新しいものを、別ものとつくりたいのなら、『ヤマト』をつくるなっ。
オリジナルで勝負しろっ、ってことですかね。
オールドファンの想いが・・・・・・・・・。
【補足】
アニメを知らない世代の方にとっては多くの疑問点があるようですが、
2つだけ。
まず、高島礼子演じる佐渡医師は原作では酒好きの年配の男性医師です。一升瓶を片手によく飲むシーンがでてきまます。
女に設定をかえても、原作通りに描いたのがその点なのです。
また、愛犬のネコですが、アニメでは同行していたかな?
ミーちゃんは、松本作品を代表するキャラクターなのです。
知らない方の為に念のために・・・・・・。
【追記】
やはり、本当のファンではないと言われようとも、
私の中で、ヤマトは、
TV版の26話
そして、
劇場版の『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』
これで完結なんです。
なんとしても生還するという1作目のコンセプトと『さらば』の特攻という松本氏の意に反した結末に一連性を感じないという意見もありますが(私の中ではこの『さらば』で完結しており、以降の作品は基本的に認めていないので余計にそうなんですが、)、私の中では成立しています。
この『さらば』で完結しているのです。
ヤマトの終わり方として、愛する者を守る為に、反戦をうたう為に、ヤマトにはこの終わり方しかないんです。
作品が違うので、コンセプトが違うのは当たり前です。
あの地球絶滅の危機から脱した地球は太陽系を征服するがごとく開発を始めます。
古代たちはそれに疑問を感じます。
自分達はこんなことをさせるために29万6千光年の旅から生還したのかっと。
これがコンセプトです。
そして、この劇場版で、オリジナル劇場版1作目といっていい『さらば』で、ヤマトはその愛する者の為に終わりを迎えるべきだったのです。
特攻を美化するとか、死ぬことを美としたとか、そんなことは・・・・・。
実際の戦争において、その時代にはいなかった我々、鬼畜米英と教育され、実際に砲弾を受け、殺し合いをしていた事実。
捕まるくらいなら・・・・、また、
愛する者を、
家族を守る為に、
本意ではなくとも・・・・・・・。
この末端の民間人の、そして兵士達の想いは、勇気は絶対に否定させませんっ。
だれも自ら死を望むわけなど絶対にないのです。
当時の、その状況におかれた人間にしか理解、納得できない現実と想いからそう決断し、実行するのです。
それを今の平和なのほほんと生きている我々が、否定することなどできないし、絶対に許されないのです。
断言します。
ヤマトは、『さらば』で、あの松本氏が納得せずとも、
あの終わり方で、TVシリーズの続きとして、無事に完結したのです。
おまけとして、
許容範囲として、
TVのヤマト2→新たなる旅立ち までかな・・・・。
それ以降は、一応見た気もするが、あまりよく憶えていないし、想い入れはなく、夢中ではもうなかった・・・・。
やはり、『さらば』で、終わってるからね・・・・・・。
本作は、多くの方が記述しているのように1作目と『さらば』のいいとこどりのような、なんとも過程もそうだし、イスカンダルでの戦いも大雑把というか、諸事情あるにしても、そのあたりがどうも・・・・・。
あと、もう一言いわせてもらうと・・・・。
完成したあとでも、なんだろうと、
原作者である西崎義展氏に本作を捧ぐ というクレジットの付け足しと、その気持ちがほしかったですね。
そして、もうすこし、松本零士色を入れてほしかった。
いろいろとゴタゴタがあったようだが、原作者と最初の監督及びメカ・キャラクターデザイン者だからね。
この二人の想いを、原作を甘くみているとしか・・・・・・・・・・・・。
やっぱり、私の中のヤマトは西崎のものだし、松本零士のヤマトなんだよね。
実情はどうであれ、あくまで個人的な想いとしては、それがどうしても、許せない・・・・。
このヤマトへの想いは、
下記へ続く・・・。
http://toridestory.at.webry.info/201012/article_3.html