姫川、甘いな・・・・ 

たった一度間違えたら終わり・・・・。

通常では厳しすぎる判断である。

だが、人の命を奪う行為。殺人となれば話は別。


もちろん、すべてが一緒クタにはできない。

だが、基本、人を殺めた責任は死をもってしか償えない。過ぎた正義などでは絶対にない。

また、自殺も自身の責任で行うべきである。自殺とは誰のせいでもない。
いかに犯されようと、屈辱をうけようと、最後に死を決断するのは自分自身。
その行為は自身によって完結させなければならい。

他人に殺してもらうなど・・・・・



その人を道連れにする愚かな行為でしかない・・・・


そして、頼まれてやった人間も人を殺めた事実に変わりはない。
拒絶しなかったということは、その殺人に同意したことであり、殺意の証明となる・・・・・

「死なせてやりたかった・・・・」

これはあきらかな殺意である。

哀しい事実だが、それが現実。

真実ではないにしろ、事実。


いかに懇願されようとも、同情しようとも人を殺めることはすべきではない。
自殺を見逃すのとは、私はまるで違う行為であると考える。

同じだと人はいうかもしれない。
とんでもない間違いである。

死を望む人間、その人間に懇願されて他人が殺めるのと、自身が自殺するのをとめないでやるのはまるで違う・・・・

共に想いは、「死なせてやりたかった」
で同じ。

だが、殺意があっても、実行するのとしないのでは天と地。

他人に殺してほしいなどの愚かさは、共感・同情すべきものではない。
だが、自身での決意はまた別である。それはある意味、尊重すべき場合がる・・・・・

自分自身を殺める自殺という殺人は、同時に代償、償いも行っているのである。

もっともその死への想いの重さによるが・・・・・・
これこそ、すべてを一緒くたにはできないが・・・・・・・

一般には、自殺は卑怯、現実逃避、楽な選択、逃げ道等と言われれる。
が、臆病な私は、自殺する勇気?などない。
自分自身を殺すなど・・・・

もちろん、卑怯であることは否定しない、だが、安易なる逃避であるとは、一概にはいえないと私は想う。
死を選ぶことはそんなに楽なことなのか・・・・・

どちらが奇麗事か・・・・・

私はどんなに苦しくても、惨めでも、生きていたい・・・・・・

殺人とは決して許されない非人道的行為である。それを自分自身に課す場合に、その覚悟を尊重すべき場合もあると私は考える・・・・







とにかく、自殺を見逃すのと、死にたい人間を殺してやるのはまるで違う。

殺意をもって殺めた他殺。殺人である。



殺意をもって、人を殺めた人間は、死をもってしか償えない・・・・・



人は更正できる。そのチャンスをあたえるべきでもある。

だが、殺人に関しては、他と一緒にはできない。

殺した人間はもう生き返れない。

一度の過ち、それでおわりなのである・・・・・・




殺人とは、それほどの非人間てき行為なのである。



過ぎた正義など・・・・・・

























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