「容疑者Xの献身」 感情にうごかされた二人の天才・・・・。 (追記)(再々追記)
それは、愛・・・・。
感情に動かされない、論理的思考を信念とするふたりの天才が、数学者と物理学者が、その感情によって信念を狂わさる。
一人は、その感情によって、論理的思考を駆使し、その感情の為につきすすむ。
一人は、その感情によって、論理的思考を駆使できず、駆使することをやめてしまい葛藤する・・・。
感情をつらぬくことを自身の中の幸福と信じ行動する男、しかし結局は、自身の想いではあるが、自身の思いではない。
感情に苦しみながらも、葛藤しながらも、最後は常識を、信念を貫く男。だが、それはいつもの彼では決してない・・・。
この二人の思い、愛情と友情、駆け引きが実にいい。
主役は変人ガリレオ、福山演じる湯川学だが、実質は、堤演じる石神の話である。
そう、内容はどうであれ、ファースト・クレジットされる役者があくまで主役なのである。
かつて、「タワーリング・インフェルノ」でマックィーンとニューマンがどちらが最初にクレジットされるかで話題になり、そしてもめた。
結局、苦肉の策、段違いで2人がファースト・クレジットされた。
ファースト・クレジットとはそれほど大きく、重い。
おっと断線・・・・。
湯川が一番苦手なもの、化学で証明できない感情、愛が今回の敵である。
故に、いつものTVのガリレオでは全くない。
そう、あの数式を書くシーンも、実験によって実証するシーンも本筋の殺人に関してはない。
このいつもと違うガリレオが見ていておもしろい。
一緒には友人E君は、数式を書き、実証しないとガリレオじゃないと不満のようだったが、
私は、とても楽しめた。
今回、もともと湯川のテリトリーではない。
化学で証明できないものがその核となっているのだから・・・・。
そう、彼も化学者としてではなく、感情でうごいたのであるから。
愛情と友情、その感情にいつもの自分を失い、ひとりは論理的につきすすみ、一人は論理的にすすむことをやめようとする、この二人の感情が、その行動が、その対比が、そして化学で証明しない、できない湯川がみていておもしろい。
いつもは感情を自覚的に理解しようとせず、論理的思考で事実を解明していく湯川が、友情という感情に、そして犯人の動機が愛情であることに苦しみ、感情で行動し、いつもの信念を貫くことをためらう。
『はっきりと、君の推理を言ったらどうだ。
何故言わない・・・。』
『君が、友達だからだ・・・・。』
そして石神は愛情という感情で行動し、心にきめた信念をつらぬく。
だが、それは本当に、自身の思いなのか・・・。本当の彼なのか・・・。
そう、あの後の彼は、決していつもの、本来の彼自身ではない・・・・。
愛というものに縁のなかった天才に、その愛は、想いは、心に秘めたまま普通とは違う形でつらぬかれる・・・・・。
愛はすべての人を普通ではいさせない。だが、一般論ではなく、この作品としての彼の変化を言っているである。
そこが私が、湯川と共にいつもの彼らでないその2人の行動、それに私は非常にひきこまれた・・・。
原作は本格推理小説で人気を得たが、作者が推理の手がかりを意図的に伏せて書かれてており、本格推理小説としての条件を完全には満たしていないとの論争に発展したことがあるらしい。
私は原作は1作もよんでいないが、この本編を見る限りでは、個人的には本格的というには物語の展開及び謎解きの課程に物足りなさを感じ、疑問符がつくが、あのアリバイの真相は、事実であることの心理をついたトリックはなかなかのものではないかと思う。
画も実に丁寧に撮っていて、しっかりと布石をうっている。
展開も奇をてらうことのない、正当的な展開で、派手さは驚くほどないが、心理線としての山場、解明前のひっぱりは十分堪能できるできにあると思う。
当然、映画的な場面はありますが、それはね、いつも言うこと。どの作品にもあるんですよ。
ただ、電話の堤と松雪の分割の画は、個人的には違和感というか、すきではないですね。
あれはカットを割って欲しい。
二人で同時に言葉を発しようとした時だけでよかったのでは・・・。
ただ、あの画で同時に移すことで、同じ目的に動いていながら心がひとつでは決しててない、一方通行であることを表現したかったのだろうが・・・・。
それと、この感情に揺れ動く登場人物達の世界に素直にはいりこめないと、重苦しい愛の流れにだるさを感じる方もいるかもしれない。
私はしっかりと楽しめた。
中途半端なラストのようだが、湯川の推理は隅田川の探索で実証され、表面上はいつもの通りに彼が事件の謎をといた。
そして、一方的なゆがんだ愛、本人的には純愛なのだろうが、それによって石神はまさに献身し、その信念を最後までつらぬこうとしている。
熱い想いも、相手が気がつかなければ、相手が受け入れてくれなければ、見返りをもとめない無償の愛も紙一重・・・。
真実であることの心理をつくトリックなので当たり前だが、仕方ないのだが、あのスートーカー偽装も、愛の献身も、相手がその愛を受け入れなければ、相手には晴れない霧の中で重荷となっていくだけ・・・。
これでは、本人には愛だろうが、それは哀の献身のように私はみえてしまう・・・・。
私がひねくれているのだろうか・・・・。
だが、石神はそれでもよかった。
『隣同士が同じ色になってはいけない・・・・。』
が、それが彼の計算であり決断だった・・・。
だが、それは・・・。
愛の重さに、相手も愛と気づいたからこそ・・・・、だから天才も計算できなかった。
自身が愛する行動や周囲の行動は計算できても、相手を脅かすような偽装まで計算づくでおこなう石神でも、相手が愛に応えることは計算できなかった。石神はそれで、その一方通行の愛で、そのゆがんだ純愛でよかったのだ。
これが一方通行であり、服装にも無頓着な、計算しているときが最高の幸せであった論理的思考を信念とする天才ゆえの誤算。
私はあの石神の嗚咽をあげる姿は実に彼らしいと感じた・・・。
そう、彼は初めて計算をあやまった・・・・。
故に・・・・。
湯川は、
『僕がこの事件の真相を暴いたところで、誰も幸せにはならない・・・。』
と、真相の究明に葛藤をいだき、躊躇するが、私はそうは思わない。
靖子もあのまま罪を背負い、隠し生きてゆくことが果たして幸せか・・・・。
石神の想いに気づき、彼に対する愛というのではなく、あくまで彼の愛に応えた結果が靖子の自白だと私は感じる。
靖子も娘さえ巻き込まなければそれが道義的にも正しいのはもちろんだが、彼女も幸せの選択だったのではないかと思うと同時に、なによりも石神にも、その献身が無になろうとも、靖子の行動は彼に幸せをあたえたのではないかと私は思う。
そう、同じ色になったのだから・・・・・。
それでも、なおも彼は・・・。
この作品、内海薫の最初と最後のセリフがすべてのように感じる・・・。
最後、柴咲演じる内海薫が言うセリフ、
『石神は靖子によって生かされていたんですね・・・。』
この言葉、いつもは論理的思考で全てを考え、解決するガリレオ、化学で証明できないもの、愛はもっとも苦手で理解できないと言い張るガリレオにとってこの言葉は・・・、
あの石神がこんなつまらないことで、あの天才的な頭脳をこんなことにつかい終わらせてしまうとは、と思っている彼には、
的確な答えだったのかもしれない・・・・。
友人E君は、ものたりないようだったが、私はとても楽しめた。
ふたりの表情、しぐさ、その対比するショットが実にみていてワクワクした。
エンディング、「最愛」がこの本編には非常に合っているが、エンドロールの途中から「vs.~知覚 と快楽の螺旋~」になり、これで終わるのはTVドラマからのファンとしては非常に嬉しいかぎりである。
これが流れてこそ、ガリレオ。私はこれを聴かないとどうも落ち着かない・・・。
福山は相変わらず、なかなかいい曲、メロディラインを書く。
まあ、堤とのの演技差などもまあ、彼の本職は音楽ですからね・・・。
TVをずっとみていたファンとしては、みていたからこそ、いつもと違うからこそ、
理解できないものを理解しようとするガリレオの苦悩、感情でうごく湯川のそのいつもと違う姿が、
それが、
実におもしろい・・・・・。
相手にその想いを、その愛の重さを気づかせた石神の行為とは・・・・、恐ろしい程実に切なく哀しい愛である・・・・。
『おしえてください、 湯川先生。
石神は一体何をしたんですか・・・・・・。』
ただ、TVとの対比で、そのいつもと違う湯川が、感情に動かされ、信念を貫くことをためらう湯川が、
そして、石神との対比が、おもしろかったのだが、はたして本編だけを鑑賞した場合に、私はここまで楽しめたか・・・。
たしかに堤の石神はよかった、松雪もまあ、だが、ここまでは・・・、どうか・・・。
それははなはだ疑問である・・・・。
【追記】
私は、人間がひねくれているのか、原作は読んでないので作者の意図するところと違うかどうかも不明ですが、、この本編から私がうける感じとしては、どうしても石神が本当の彼の思いではないような気がするんですね。
想いはあるんです。愛情です。あの親子を守りたい。
ただ、私は多くの人がかかれているような純粋な愛、純愛とは素直に感じ取れない・・・。
石神は愛情からあの親子を守ろうとした。
感情に動かされない論理的思考を信念とする男が、感情の為に、その天才的な頭脳を、論理的思考を駆使しつきすすんだ。
その石神があのような愚かなスートーカー行為を行うはずがない。
あれは紛れもなく彼の計算である。
だが、そこには、あの行為には彼の怒りは微塵もこめられていなかったのだろうか・・・。
それで、純・・・、いやそれが真の純愛なのか・・・・。
いや、だとしたら、やはり私にはそこに愛以上のものを感じてしまう・・・。
彼はある大きな宿命のようなものを、それは愛からなのかもしれない、となればやはり純愛か・・・、だが、何というのだろう、ある種の使命感というか、やはり自身に課してしまったように私は感じてしまう・・・・。
それは愛などと無縁に生きてきた天才数学者故か、一方通行でいいという純愛からの見返りをのぞまない無償の愛故か・・・・。
ただ、私は拘置されいる石神が天井をみながら、
“隣同士が同じ色になってはいけない”
とつぶやくのは、彼のあきらの心情、計算された筋書きというよりも、私には自身にいいきかせているように感じてならない・・・。
そうある相反する二つの気持ちが表裏一体してこめられているように私には・・・。
それは、彼の真の想いであり、そして彼の計算した筋書きであり・・・・。
やはり私には、彼は自身の想い、つまり彼女への愛を押し殺した、愛よりも重いものを、自身の想い以上のものを彼に感じてしまう・・・・。
それがゆがんだ愛と私に感じさせるのか・・・・。
それ故に、本当の彼なのかと・・・・・。
私は本編をみていてそう感じてしまった。
故に、上記記事にて、
>感情をつらぬくことを自身の中の幸福と信じ行動する男、しかし結局は、自身の想いではあるが、自身の思いではない。
と記述した。
これは理屈ではなく、画からうけた印象、感じなんですね・・・。
自分でも説明がうまくつきませんが、私はそう感じてしまった。
そして、あの内海の最後のセリフが正にそのものだとつよく感じた・・・・。
私には先述したように、靖子が石神の想いに気がつき、彼の愛に応えた、つまりその愛に向き合った結果があの自白であると感じる。それは靖子が彼を愛したということではなく、語弊があるかもしれないが、つまりその愛の重さを受け入れた結果であると。
それ故、私は靖子も、そして何より石神が、石神の本意ではないのだろうが、彼のとてつもない献身は無になろうとも、彼は幸せだったのでないかと思う。
靖子が真実を語ったのだから・・・・。
原作はどうやら、石神の意志を受け入れる展開になるようだが、
あのまま石神の献身を受け入れたとしたら、殺人という罪を背負って生きていく選択をしたのなら、私には到底理解できない・・・。それが本当に純愛なのだろうか・・・。それが靖子親子を守る真のすべなのだろうか・・・。
それで全員が本当に幸福なのだろうか・・・・。
一生、殺人の罪を背負い、そして償えない苦しさを背負いこんで生き続けることが・・・・。
どんな形であれ、自身で罪のけじめをつけなければその苦しみからは逃れられない・・・・。
(要は、私には同情はするものの殺人の罪を背負って生き続けていくことが理解できないし、
また私は卑しいのか、無償の愛というものが、私にはやはりできないし、できないものは理解できないんでしょうね・・・。)
ただ、この本編から、音楽もからんだ独特の雰囲気の画、そして堤の演技からうける私の印象なので、この本編を浮かべることなく別ものとして、小説を読んだ場合に私の思い、感想はまた別のものになるかもしれない。
ただ、実際にはもう頭に映画の人物たちが連想されてしまうかも・・・・。
とにかく、この本編では、彼女は自白した。
つまり哀の献身がようやく、愛の献身になったように私は感じる・・・。
それでも彼は、靖子の自白後も、彼は自身の献身を貫こうとしている。
それが、その石神が、生まれて初めて誤算をした彼が、とてつもなく、哀しく、切なく、そして虚しささえも私は感じる・・・・・。
私は強い感動よりを受けるよりも、献身続ける彼にやりきれない切なさと哀しさと虚しさを強く感じ、やはり二人の対比、そしてTVとの湯川の対比が、一番この作品として楽しめた部分である。
エンドロール、『最愛』からさわり程度だが『vs.~知覚 と快楽の螺旋~』にかわった音楽、上記に記述した“やはりこれがかからないと”との思いと同時に、この曲が私の心にある石神の愛へ感じるやりきれない複雑な思いを軽減させ、素直に劇場の席からたたせてくれたのかもしれない・・・・。
予告編
『最愛』
[特報] 映画「容疑者Xの献身」
『容疑者Xの献身 完成舞台挨拶 福山雅治 柴咲コウ 堤真一 松雪泰子 品川祐』
『福山雅治 - vs. ~知覚と快楽の螺旋~』
『VS. ~知覚と快楽の螺旋~ & KISSして』 KOH+
福山&堤 インタビュー
福山&堤 インタビュー2
【後記】
当初は、できるだけ内容にはふれないように感じた点を最小限に記述していたのだが、多くの方の記事を目にし、自身の感想、思いとの同意やそして違い、また言葉の足りない点、自身の画から感じたことがその通りに伝わっていないと感じられる点などがあり、やはりはっきり記述しないとの思いから何度も何度も追記してしまった。
その為に、かなり内容にふれる記事となってしまった・・・。
感じたことは文章にするというのはやはり、非常に難しい・・・・・。